>>
越前朝倉殿に子息十二人あり。金吾は十二番目也。四番目を小太郎といひ、五番目を五郎と云ふ。五人張(ごにんばり)をひかれし強弓(つよゆみ)なり。或時兄弟寄合(よりあひ)給ひ、雙方の侍衆(さぶらふしゆ)相撲(すまふ)をとるに、小太郎方勝ちぬ。小太郎弟にむかひ、「參(まゐ)りた參りたの」と名乘られし。五郎無念に思はれ、近々とより、一刀(たう)に小太郎を切殺されし。小太郎女房尼になりて後、遺恨やまず、人數(にんじゆ)を催し、五郎の館(たち)へ押寄せ、遂に國に置かれざりし時、
「越前にものきれ二ついで來たりあまくにたちに五郎入…[全文を見る]
お話しするにはログインしてください。
ホリィ(新人)のことを語る
ホリィ(新人)のことを語る
永禄元年11月には義輝が三好長慶と和睦して入京、三好政権のもとで幕府が再興されますが、その後も永禄4年7月に六角義賢が細川晴元の次男晴之を擁して挙兵し河内の畠山高政と連合し挟撃を図るなど、不安定な情勢が続く最中、永禄3年5月の桶狭間合戦が起きるわけです。
信虎はその間も引き続き在京していますが、永禄5年または7年と見られる信玄書状には信虎の駿河帰国を尋ねるよう命じたものがあり、『言継卿記』では永禄8年から9年にかけてに信虎の姿が現れず、永禄10年正月の年始挨拶に訪問するも留守、同年4月24日には門前で信虎および伊勢備中守とすれ違ったことが記さ…[全文を見る]
ホリィ(新人)のことを語る
おお、それをまとめたのが安楽庵策伝なんですね。Web上にもありました。
http://www.geocities.jp/sybrma/386seisuisyou.makino1.html
>>
甲斐國(かひのくに)武田信虎公の息女(そくぢよ)を、菊亭殿(きくていどの)へ契約ありしが、まだ聟入も無き先に、信虎公菊亭殿へおはしける時、
「むこいりをまだせぬ先(さき)のしうと入(いり)きくていよりもたけた入道(にふだう)」
<<
>>
江州(がうしう)六角(かく)佐々木四郎と三好家ととりあひ、鴨川迄出(いで)らるれども、三好家のつよくして、佐々木退(しりぞ)かれぬる時に、おうていはなし
「世中(よのなか)をしらうしらうといひけれど鴨川までもしようていはなし」
<<
知ろうと四郎、しよう体?と承禎を掛けてるんですね。面白い(笑)
ホリィ(新人)のことを語る
・柴辻俊六編『武田信虎のすべて』より、丸島和洋「甲斐国追放後の武田信虎」
ずっと気になってた、信虎の在京時期と動向について。
『甲陽軍鑑』では永禄3年(1560)5月の桶狭間合戦以後、次第に氏真との関係が悪化して駿河から追放されたとし、晴信に対して駿河出兵を提案する様子が描かれますが、これは武田家の駿河攻めを正当化するための脚色のようです。
『言継卿記』永禄元年正月四日条には年始の挨拶回りの際に「甲州武田入道」と会っていることや、三月十六日条で信虎に手紙を出したが不在であったことが記されていて、その後も永禄2年、3年、6年、6年と年始挨拶で…[全文を見る]
ホリィ(新人)のことを語る
伏見稲荷大社の公式サイトにも、骨皮道賢が稲荷山に陣取った話について書かれてます。
http://inari.jp/about/num03/
>>
応仁2年(1468)3月15日、多賀豊後守高忠の従者で細川氏の与党・骨皮左衛門尉道賢を首領とする軍勢が、比較的新しく当社祠官家に加わったと見られる荷田氏の羽倉出羽守と示し合せて、伏見・木幡・藤森・三楢・深草・淀・竹田・鳥羽等を眼下に見下ろすことが出来る要害の地ともいうべき稲荷山に陣を設け、山名持豊軍の糧道を絶ったのです。
<<
稲荷社祠官の羽倉家出身と思われる羽倉出羽守が進んで東軍に協力したらしいことも、面白いです。…[全文を見る]
ホリィ(新人)のことを語る
今日は自転車で1時間かけて中央図書館まで行き、気になった本の気になる辺りを拾い読みしてきました。
・早島大祐『足軽の誕生 室町時代の光と影』
応仁の乱で東軍方として稲荷山に陣取って活躍、西軍の朝倉孝景に討ち取られたという骨皮道賢のことを調べました。
道賢は「都鄙悪党」と呼ばれた足軽の頭領ですが、寛正3年(1462)侍所所司代に就任した多賀高忠の元で目付となり警察業務の一翼を担って、土一揆の鎮圧に貢献したとのこと。
他にも嘉吉の乱で没落した赤松牢人たちの動向として、三条家に奉公して赤松家再興のきっかけを作った石見太郎左衛門の話、朝倉孝景の下…[全文を見る]
ホリィ(新人)のことを語る
ホリィ(新人)のことを語る
ひさびさに今日の『戦え!官兵衛くん。』へのつっこみ
登場人物紹介 播磨最終決戦編 その3
http://kurokanproject.blog.fc2.com/blog-entry-315.html
宇野祐清www
ちなみに宇野氏は赤松の御一族衆ですが、香山城も配下にしてますし、結構大きな勢力だったようですね。
安積氏は鎌倉以来の御家人ですが赤松氏被官となり、一族の有名人には「嘉吉の変」で将軍足利義教の首を斬り落としたという勇将・安積監物行秀がいます。
長水合戦では織田方となった則房に従い、戦後に感状を与えられているようです。
ホリィ(新人)のことを語る
ちなみに『朝倉始末記』所収系図によると、織田敏定の母は朝倉孝景(英林)の祖父にあたる教景(心月)の娘、英林の孫である貞景の母が織田孫左衛門尉の娘で、英林の代には織田家とも縁組していたようです。織田孫左衛門が誰なのかは分かっていないようですが…。
あと『朝倉氏の家訓』には、英林六男の時景、七男の景儀が共に織田の家督を継いだとして、収録の『朝倉家伝記』の系図を見ると確かに六男のところに「孫七 叔海性波 集雲軒主還俗 織田家督」とあるのですが、Web上の情報では「織田庄を領した」とあります。
元々、尾張の織田氏は越前織田庄の劔神社の神官出身と…[全文を見る]
ホリィ(新人)のことを語る
明応の政変前後における朝倉氏の動きについて、一乗谷朝倉氏遺跡資料館『朝倉氏の家訓』およびWikipediaから確認。
長享元年(1487) 第一次六角征伐、将軍義尚の命に応えて敦賀郡司朝倉景冬(孝景の弟=貞景の大叔父、応仁の乱では「朝倉の小天狗」の異名で呼ばれ活躍した勇将)が坂本に出陣、貞景自身も敦賀まで出陣
明応2年(1493) 細川政元の要請に応じ、大野郡司慈視院光玖(こちらも孝景の弟=貞景の大叔父)が被官の杉若藤次、久原平兵衛尉を京都に派遣、明応の政変
明応3年(1494) 加賀門徒を味方につけた甲斐氏の侵攻を受け越前豊原寺に出陣、朝倉教景(宗滴)18歳で…[全文を見る]
ホリィ(新人)のことを語る
神山駿河入道周賢については、Googleブック検索で『政覚大僧正記』文明17年4月26日「赤松大膳大夫」政則の分国内薬師寺別当領の保全を依頼、その使者に「神山駿河守」とあります。他にも『山科家礼記』に文明2年12月7日備前居都庄遵行を神山駿河守に預く、とも。
『古事類苑』にも名前が挙がっているようですし、いわゆる故実家として赤松氏と付き合いがあったのでしょうか。
ともあれ、松島周一氏の論文によれば、浦上則宗と織田敏定は意気投合し、斯波義寛のために朝倉貞景から越前を取り戻そうと画策していたそうでて、近江の陣中においても赤松政則の陣営に斯波義寛と…[全文を見る]
ホリィ(新人)のことを語る
濱田浩一郎氏の『播磨赤松一族』は2009年に新人物往来社から発売された本ですが、赤松氏だけでなく室町時代のまとめ本として非常に良い内容でした。
しかもこういう作刀一覧とか、浦上則宗や赤松義村が詠んだ歌の一覧とか、興味次第で更に調査の取っ掛かりになるような情報も載ってますし。
今一番欲しいのは天野忠幸先生の三好長慶本ですが、こっちもいずれは入手したい…。
ホリィ(新人)のことを語る
展示の文書には官兵衛の名乗りの変遷を示す史料もありました。
永禄10年(1567)12月23日「小寺祐隆下地売券」…官兵衛の初出史料で、称名寺(正明寺)に一反の土地を売ったことを示す内容。「小寺官兵へ尉 祐隆」
永禄13年(1570)3月12日「小寺孝隆借銭請取状」…借用としていた上記の土地の代金が納入されたことに対する請取状。「小官 考隆」
「小寺祐隆」→「小寺孝隆」と改名したことが分かる史料ですが、二十歳そこそこから小寺姓を許されていることが分かります。
「祐」は赤松氏ゆかりの通字ですが、小寺氏が擁立していた赤松惣領家の義祐からの偏諱だとすると、改名の…[全文を見る]
ホリィ(新人)のことを語る
今日は図書館で濱田浩一郎氏の『播磨赤松一族』をボヘーと読んでたんですが、『姫路市史』に挙げられているという赤松政則の作刀一覧に気になる情報を見つけました。
(1) 文明14年6月14日 薬師寺彦四郎橘則隆
(2) 文明14年6月20日 喜多野孫右衛門藤原則綱
(3) 文明14年7月14日 薬師寺四郎左衛門尉橘貴能
(4) 文明14年8月1日 東条小太郎藤原友盛
(5) 文明14年12月27日 刑部少輔則途
(6) 長享3年8月16日 織田大和守藤原敏定
(7) 長享3年8月17日 魚住又四郎実安
(8) 延徳元年11月6日 神山駿河入道周賢
(9) 延徳元年11月15日 小倉小四郎源則純
(10) 延徳元年12月11日 広峯九郎…[全文を見る]
ホリィ(新人)のことを語る
http://h.hatena.ne.jp/k-holy/228176798699904833
シュークリームはオイシスのも好きなんですが、SHOP99がローソン100になってから扱いが減ってきて、かなしすです。さらに知らんがな
ホリィ(新人)のことを語る
特別展では大門先生の『黒田官兵衛 作られた軍師像』でも多く使われていた「芥田家文書」の史料が展示されていて、実物を目にできたのが感動でした。
天文11年7月30日「黒田宗卜・山脇職吉連署奉書」…官兵衛の祖父重隆の初出史料
永禄元年12月28日「黒田職隆算用状」…官兵衛の父職隆の初出史料で、芥田五郎右衛門尉(家久)に宛てて出されたもの
永禄12年8月22日「小寺政職感状」…青山面の合戦の戦功を賞し、芥田五郎右衛門尉(家久)、芥田善五郎(宗貞)父子それぞれに宛てて出されたもの
芥田五郎右衛門は播磨鋳物師を統括し、後にはあの方広寺の鐘を鋳造したという人…[全文を見る]
ホリィ(新人)のことを語る
ちょうど桐野作人氏のブログに「知られざる幻の縁組話」として、長政養子の松寿と島津義弘の孫娘の縁組の話が出てました。
http://dangodazo.blog83.fc2.com/blog-entry-1335.html
南日本新聞連載「さつま人国誌」
http://373news.com/_bunka/jikokushi/kiji.php?storyid=6127
島津軍の大垣駐留時に長政からの密書が送られていたこと、関ヶ原での決戦前からすでに縁談の話が進められていたとのこと。
結局島津は西軍について敗れたため義弘の方から中断を申し出て、長政の方も別家との縁組が持ち上がったため破談になったそうです。
松寿も13歳で夭逝して結局は何もなく……[全文を見る]
ホリィ(新人)のことを語る
ハンバーガー美味しそうです ・ρ・)
ホリィ(新人)のことを語る
上月合戦の第二幕開始、しかも官兵衛が上月城へ救援に乗り込む展開というわけで、「上月城」「上月城の戦い」での来訪が増えてます。
Yahoo 80%
キーワード…上月城の戦い 26%、上月城 15%、黒田官兵衛 上月城の戦い 4%、黒田官兵衛 上月城 2%
アクセス先…上月城の戦い第一幕・秀吉の播磨侵攻 69%、大河ドラマ『軍師官兵衛』以前の播磨の戦国時代あらすじ(ほぼ赤松氏の話) 15%、上月城の戦い第二幕・尼子再興戦の終焉 5%
Google 8%
キーワード…上月城 36%、赤松氏 15%、上月城 10%、上月城の戦い 10%、播磨戦…[全文を見る]
ホリィ(新人)のことを語る
喫茶ブラジルの玄関口

「ブラジル」は姫路にたくさん店舗があるらしい。
「明日香」もそうだけど、姫路には(というか播州全般?)しっかり食事できる喫茶店が多い気がします。
それに対して神戸は、洋菓子店、珈琲店、洋食店といい店は多いけど、細分化が進んでて幅広くやってるような店は少ない感じ。
少なくとも喫茶&軽食する店と、食事する店は使い分けられてるような。

このマドレーヌ買った洋菓子店「大陸」の喫茶店も以前一度行って気に入ったんですが、閉店が早いのです…。

/ホリィ(新人)

