伏見稲荷大社の公式サイトにも、骨皮道賢が稲荷山に陣取った話について書かれてます。
http://inari.jp/about/num03/
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応仁2年(1468)3月15日、多賀豊後守高忠の従者で細川氏の与党・骨皮左衛門尉道賢を首領とする軍勢が、比較的新しく当社祠官家に加わったと見られる荷田氏の羽倉出羽守と示し合せて、伏見・木幡・藤森・三楢・深草・淀・竹田・鳥羽等を眼下に見下ろすことが出来る要害の地ともいうべき稲荷山に陣を設け、山名持豊軍の糧道を絶ったのです。
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稲荷社祠官の羽倉家出身と思われる羽倉出羽守が進んで東軍に協力したらしいことも、面白いです。
この合戦は『応仁記』では「醍醐山科合戦」と呼ばれていて、「昨日までいなりまはりし道源を けふ骨皮と成ぞかはゆき」という落首があったことも記されているようです。
http://homepage1.nifty.com/sira/ouninki/ouninki40.html
「板輿に乗って女のふりをして後方の山へ落ちて行ったが、山名殿に味方する河原者が追いかけて討ち取った」とも。
ホリィ(新人)のことを語る
