今日は自転車で1時間かけて中央図書館まで行き、気になった本の気になる辺りを拾い読みしてきました。
・早島大祐『足軽の誕生 室町時代の光と影』
応仁の乱で東軍方として稲荷山に陣取って活躍、西軍の朝倉孝景に討ち取られたという骨皮道賢のことを調べました。
道賢は「都鄙悪党」と呼ばれた足軽の頭領ですが、寛正3年(1462)侍所所司代に就任した多賀高忠の元で目付となり警察業務の一翼を担って、土一揆の鎮圧に貢献したとのこと。
他にも嘉吉の乱で没落した赤松牢人たちの動向として、三条家に奉公して赤松家再興のきっかけを作った石見太郎左衛門の話、朝倉孝景の下で菩提寺の管轄などに才を発揮した魚住景貞の話など。
嘉吉の乱以前から赤松と朝倉は親しい関係にあり、当時の侍所頭人であった山名氏は朝倉家が赤松被官と所縁があることを理由に宅地を没収しようとしたという話もありました。
内容的には大門先生の『牢人たちの戦国時代』に被る部分もありそうですが、全体としては、政所執事の伊勢貞親が新興の土豪や大名庶家の武士を被官として幕府支配体制を再建しようとする中で、京都周辺部の牢人たちを幕府機構に取り込み、従来は守護や奉公衆が担ってきた警察業務を代替させようとしたと評価する内容で、タイトルの「足軽の誕生」はそういった状況を象徴して付けられたもののようです。
また、荘園の相論、大和永享の乱、嘉吉の乱、畠山氏の御家騒動など、幕政の混乱の影響で京都に多くの牢人たちが生まれ、洛中洛外の境域に寄宿あるいは寺社武家邸宅に滞留しており、骨皮道賢が稲荷山に籠ったのはまさにそういうあぶれ者の頭目がかつての自分達のテリトリーに陣取ったものだと。
応仁の乱で大名達が戦闘を続けたために都が荒廃したという捉え方だけではなく、それ以前からの幕政の混乱が京都を変容させていった状況で、戦乱に活路を見出す足軽たちが生まれたというわけです。面白い。
