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ホリィ(新人)のことを語る

展示の文書には官兵衛の名乗りの変遷を示す史料もありました。

永禄10年(1567)12月23日「小寺祐隆下地売券」…官兵衛の初出史料で、称名寺(正明寺)に一反の土地を売ったことを示す内容。「小寺官兵へ尉 祐隆」
永禄13年(1570)3月12日「小寺孝隆借銭請取状」…借用としていた上記の土地の代金が納入されたことに対する請取状。「小官 考隆」

「小寺祐隆」→「小寺孝隆」と改名したことが分かる史料ですが、二十歳そこそこから小寺姓を許されていることが分かります。
「祐」は赤松氏ゆかりの通字ですが、小寺氏が擁立していた赤松惣領家の義祐からの偏諱だとすると、改名の背景には、義祐が嫡子則房との不和から置塩城を追放され三木城に逃れた一件が絡んでいるのかもしれません。
(この件は年次も含めて詳細は明らかでないようですが、濱田浩一郎『播磨赤松一族』では、義祐が変心して信長に誼を通じようとしたのではないかと推測されています。)

称名寺は姫路城山里曲輪の石垣に使われた墓石の件でも触れましたが、康治2年(1143)に姫山に建立され、後の姫路城改修時に城下へ移転したという寺です。
これも、官兵衛が家督とともに小寺姓と姫路城代の地位を継いだことに関わるのでしょうか。