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ホリィ(新人)のことを語る
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これらの記述をまとめたと思われる内容がこちらのURLに記載されています。「社頭掲示板」からの引用のようです。
http://www.geocities.jp/engisiki/harima/bun/hrm460301-01.html

「永正3年(西紀1506年)赤松政村推鐘寄進(現存)」
「永正12年(西紀1515年)6月11日、天神地紙祭執行」
「大永元年(西紀1521年)6月卯日、天神地舐祭に装山の造車1基を神前に置く、この時修羅踊を行なう(一つ山の初見)」
「大永2年(西紀1522年)5月、赤松晴政装山3基を神前に置く(三つ山祭の起源)」
「天文2年(西紀1533年)9月、赤松晴政、三つ山…[全文を見る]

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昨日は図書館で三ツ山大祭の予習をしてきました。
『播磨の祭り』によると、三ツ山大祭の「置山」は播磨地方の祭で有名な担ぎ屋台の起源とされる神降の座所、ヤマの古態を残したものだとか。
三ツ山大祭は1533年に赤松政村が21年毎に執り行うことを定め、その後1593年に城主の木下家定によって第1回目の式年三ツ山大祭が執行されて以来、20年毎の大祭を守り続けてきたということです。
(つまり三ツ山大祭は20年毎にやるよって政村ちゃんが1533年に始めたけど、秀吉の時代になるまでは播磨国内がゴタゴタしすぎてて守れなかったと…)

この話、色々なところで見かけるんです…[全文を見る]

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空も山も見えなかった昨日。今日もこんな感じであまり出かける気にならない…

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すぐに再訪したかったけど、18きっぷ期間買ってきたのでしばらく行けないかも。

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赤松・浦上氏の情報を探してるとよく当たるこの「落穂ひろい」、とても素人とは思えない内容に感心してましたが…
http://homepage2.nifty.com/OTIBO_PAGE/rekishi/
今更ながら、渡邊大門先生の著書でも名前を見かける畑和良氏のサイトだと知りました。
参考資料の紹介も丁寧に書かれててとても良いです。

http://homepage2.nifty.com/OTIBO_PAGE/rekishi/shiryo/shiryo3.htm
軍記物の史料としての評価など、専門家には常識的なことでも一般人には分からないことが多いので参考になります。

畑和良さんは一般向けの書籍を全く執筆されていないのが残念…。
やっぱ専門が赤松系だとそういう話がなかなか来ないんでしょうか。大門先生も文庫本や新書本どは本来の研究対象から外れたのが多いし。
赤松に限らず、室町・戦国時代はここ2,30年で研究が進んでるようですが、なかなか一般の歴史ファンまで浸透してこないのがもどかしい。

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細川尹賢と香西元盛の件についても詳しく書かれていて、「重編応仁記」によると大永6年(1526)に高国が尼崎城を築城した際、尹賢の人夫と香西兄弟の人夫が口論、数百人ずつが城中へ礫を投げ込んで争ったとあるそうです。

この尼崎城は大物崩れの際に高国が逃げ込もうとした大物城のことで、「如来院文書」には永正16年(1519)2月27日に「摂州尼崎に柵して、城を築く」とあり、高国はここに尹賢を入れて澄元方への備えとするため、本格的な城館に改築したものと見られています。
また、東に寺院が建ち並び、北に大物川、西に庄下川が流れ、南は島が点在する海があり、自然の堀…[全文を見る]

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「尼崎市史」には享禄4年(1531)大物崩れの経緯についても地図入りで解説されていて分かりやすかったです。
地図を載せられないのは残念ですが、時系列で要約しますと…

3月10日 晴元勢の本陣が堺、高国勢の本陣が浦江。晴元勢が高国勢の先陣である小妻を攻めて大勝。高国勢は天王寺・今宮・木津・難波へと後退し、浦上軍は本陣警護のために野田・福島に総勢二万予騎で陣取った。
3月25日 晴元勢、細川政之率いる八千余騎が讃岐から堺に到着。
5月13日 細川典厩・香川中務丞が堺築島に、三好元長が沢の口・遠里小野に、久米・河村・東条・七条・一宮・三好山城守らは我孫子苅…[全文を見る]

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ブログで紹介とかされてるので、検索結果が良い感じになってますね。
>2月8日 ヒラメ チエの友達
>2月19日 ドンコ 各駅停車
>5月18日ヒメジ 城
この辺が気に入りました。

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魚言葉もサンプルのはあまり歴史あるように見えないっていうか
>1月22日 マガレイ 辛口カレー大盛り
意味が分からない

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Wikipediaの「花言葉」が結構面白かった

  • 1819年頃に出版されたシャルロット・ド・ラトゥール『花言葉』 (Le Langage des Fleurs)[5]は、こうした流行を背景に登場した最初期の花言葉辞典である。
    ラトゥールは独自の花言葉を270超のリストにまとめているが、その命名手法の特徴は、大きく二つに分けられる。
    第一は、その植物の外形や香り・色・生態といった植物の性質・特徴を言葉で表現しようとする観察重視の姿勢。たとえばブラックベリーについて、自らの観察をもとに「人目を避けるように生え、ひとたび口に含むと苦さだけが残る」とまとめたうえで、花言葉を「嫉妬…[全文を見る]

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なお「尼崎市史」には、高国が捕らわれた状況について以下のように列記されています。

・大物庄の紺屋に隠れているのを、わらべに聞いて捕らえた。この時の高国は道服を着た入道姿であった(『重編応仁記』)
・尼崎町屋に忍んだのを捕らえた(『細川両家記』『二条寺主家記抜粋』)
・尼崎大覚寺町の染匠の家に隠れたのを捕らえた(『摂津志』)
・尼崎の民家の大甕に隠れたが、数人の子供に甜瓜を与えて聞き込み捕らえた(『細川系図』)

当時は川を挟んで北を大物、南を尼崎と呼んでいたそうですが、このように地名が両説あり、切腹した場所も大物にあった真宗の道場広…[全文を見る]

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昭和41年発行「尼崎市史」も参考にしつつ、細川高国の最期について。

高国は僅かな手勢に守られて大物城へ向かったものの、すでに赤松氏の手が回っていたため断念し、町屋に紛れ込みます。
そして、紺屋の大甕の中に隠れて身を潜めていましたが、追手の老将・三好一秀は智恵を働かせ、子供達にまくわうりを与えて高国を探り当てさせたと伝わっています。
享禄4年(1531)6月8日、大物崩れからわずか四日後にして高国は捕縛され、広徳寺で切腹しました。

高国は都の公卿や文化人とも親交が深く、「尼崎市史」には辞世の短冊として「細川両家記」より六葉が引用されています。…[全文を見る]

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3/31~4/7にかけて播磨国総社で20年に一度の「三ツ山大祭」が行われるとのこと。
山陽電鉄の沿線ガイドの記事によると、1533年に赤松政村の命令によって20年に一度行うことが定められたそうで…。

後でまとめますが、享禄4年(1531)6月の大物崩れからの播磨帰国後、同年10月には国秀ら浦上氏一族の蜂起により英賀を落とされて明石城に避難、その後は何とか押し返したものの、天文3年(1534)8月にも姫路朝日山で激しく戦っていて、播磨の状況はまだ安定していなかった時期のはず。
歴史的な背景についても詳しく知りたくなってきました。

県立博物館で特別企画展「姫路・城下…[全文を見る]

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「ハイランダー ショーン・コネリー」で画像検索したらこんなん出てきてわろた

「未来惑星ザルドス」とかいう映画らしい…

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ほんと、素人の感覚としてはここに書いてるそのまんまなんですよねえ。
http://miki-7500.net/log/3510/

三洋電機がPanasonicに買収されると聞いた時は、今後はEVOLTAブランドに一本化されるのかと思ったんですが、そういうわけでもなく、安堵してたところでこのデザイン変更でした。

しかしこの記事読むと、おそらく予定通りだったんでしょうね。
http://kaden.watch.impress.co.jp/docs/column/ohkawara/20120326_520085.html

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eneloop
http://kaden.watch.impress.co.jp/docs/news/20130228_589775.html
家電watchの例の記事、ブックマーク数がえらいことになってますね。

以下、世間的にeneloopブランドがどれ程受け入れられてるのか知らないし、電気の知識もない素人の感想になりますが…。
僕はほぼ、いわゆるコンパクトデジカメ用として使っていて、先々代のOLYMPUS C3100Zは同社製ニッケル水素充電池/充電器とのセットで購入したものでしたが、eneloopが発売されてすぐ乗り換えました。
それ以来カメラはPanasonic DMC-LZ10、今またOLYMPUS SP-620UZと買い換えてますが、電池は当時購入したenel…[全文を見る]

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赤松氏の元で養育された足利義澄の二人の遺児、義晴と義維兄弟については気になることがあります。
「戦国 三好一族」によると、義維が細川澄元によって阿波へ拉致されたと記されていることと、弟とされている義維の方が年上かもしれないという話です。

義維が播磨から阿波へ連れ出されたのは永正8年(1511)8月16日の船岡山での敗戦後と思われますが、「赤松一族 八人の素顔」収録の依藤保氏「晴政と置塩山城」には永正8年(1511)3月に近江から亡命してきた亀王丸の御所が造営されているとあります。
Wikipediaによれば、鷲尾隆康の日記「二水記」には義維が生まれたのは義澄…[全文を見る]