昨日は図書館で三ツ山大祭の予習をしてきました。
『播磨の祭り』によると、三ツ山大祭の「置山」は播磨地方の祭で有名な担ぎ屋台の起源とされる神降の座所、ヤマの古態を残したものだとか。
三ツ山大祭は1533年に赤松政村が21年毎に執り行うことを定め、その後1593年に城主の木下家定によって第1回目の式年三ツ山大祭が執行されて以来、20年毎の大祭を守り続けてきたということです。
(つまり三ツ山大祭は20年毎にやるよって政村ちゃんが1533年に始めたけど、秀吉の時代になるまでは播磨国内がゴタゴタしすぎてて守れなかったと…)
この話、色々なところで見かけるんですが出典が書かれていないため、昭和13年発行 兵庫県神職会『兵庫県神社誌』を読んでみました。
まず「一ツ山大祭」について
『射楯兵主神社略記』
兵主大神の欽明天皇廿五年六月十一日丁卯の日御鎮座になりし紀念といひ一は延暦六年丁卯年坂上将軍の所願に依り国衙小野江に奉遷し射楯大神を合祀して射楯兵主神社と奉稱するに至れる
所謂御鎮座の紀念するものの如し之を一名一ツ山とも云ふは此の祭典には境内に高さ五丈余尺の大造山を一基造りて祭典を行ふに依りて此の名あり
而して其前に舞台を設けて能楽を興行し競馬流鏑馬神子渡一つ物弓鉾指等の諸神事を行ふ
又此の祭典には市内の各町屋上に夫々数寄を凝したる大造物をなして之を奉祝する古来よりの慣例なり
斯る特種の祭典なるを以て往古より総社の一ツ山神事とてその殷盛なる事中国に冠たる有名なる大祭典と云ひ囃せり
次に「三ツ山大祭」について
『射楯兵主神社略記』
境内に大造山を三基造るに依りて此名あり其他は丁卯祭と大同小異の特種神事にして市中屋上の造り物等同じくその殷盛なること亦前者と異ることなし
『臨時祭由来』
三ツ山臨時大祭と云ふは二十一年目毎に執行さる最も厳しく賑しき大祭にて約一千年の昔天慶の乱に当り逆賊追討の祈願を為せし時に始まり爾来国家の大事変に際し執行し来りしを播備作の太守赤松政則の時に至り二十一年目に定まりたるなりといふ
一ツ山大祭は、延暦6年(787)丁卯(ひのとう)の年に行われたことから「丁卯祭」と呼ばれていた祭だと。
で、三ツ山大祭はその一ツ山が3つになったもので後はそんなに変わらない…60年毎の方がすごいのかと思ったら、別にそうではないようです。
後者で政村が政則と誤って記されていますが、939年に藤原純友が起こした天慶の乱の際「逆賊追討の祈願」を行ったことを始まりとして「国家の大事変に際し執行」してきた臨時大祭を、赤松政村が定期化するよう定めたってことですね。
