id:k-holy は
ホリィ(新人)のことを語る

なお「尼崎市史」には、高国が捕らわれた状況について以下のように列記されています。

・大物庄の紺屋に隠れているのを、わらべに聞いて捕らえた。この時の高国は道服を着た入道姿であった(『重編応仁記』)
・尼崎町屋に忍んだのを捕らえた(『細川両家記』『二条寺主家記抜粋』)
・尼崎大覚寺町の染匠の家に隠れたのを捕らえた(『摂津志』)
・尼崎の民家の大甕に隠れたが、数人の子供に甜瓜を与えて聞き込み捕らえた(『細川系図』)

当時は川を挟んで北を大物、南を尼崎と呼んでいたそうですが、このように地名が両説あり、切腹した場所も大物にあった真宗の道場広徳寺を「尼崎広徳寺」としているものもあって、ひっくるめて混同されたためかと述べられています。
(そもそも中世の大物城と尼崎城も、別の城であったという説と同じ城のことだという説があるようで…)

また、高国を捕らえた追手の武将については「尼崎市史」では三好康之とありますが、「戦国 三好一族」では三好之長の弟で一族きっての老将、三好山城守一秀としています。
三好康之という名前には覚えがないんですが、三好山城守を誰に当てるかという話であれば、有名なのは元長の弟で後に信長に降った三好笑岩康長の事でしょうか。
だとすると老将どころかまだせいぜい10代か20代ですし、昭和41年当時はまだ研究が進んでおらず、一秀の存在が明らかでなかったということかもしれません。