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ホリィ(新人)のことを語る

細川尹賢と香西元盛の件についても詳しく書かれていて、「重編応仁記」によると大永6年(1526)に高国が尼崎城を築城した際、尹賢の人夫と香西兄弟の人夫が口論、数百人ずつが城中へ礫を投げ込んで争ったとあるそうです。

この尼崎城は大物崩れの際に高国が逃げ込もうとした大物城のことで、「如来院文書」には永正16年(1519)2月27日に「摂州尼崎に柵して、城を築く」とあり、高国はここに尹賢を入れて澄元方への備えとするため、本格的な城館に改築したものと見られています。
また、東に寺院が建ち並び、北に大物川、西に庄下川が流れ、南は島が点在する海があり、自然の堀が形成されたこの地に、更に堀を巡らせたと見られていて、高国が淡路や四国からの材木商が発達し水運の要衝でもあった尼崎を重視していたことが伺えるとのことでした。
堺が澄元方阿波勢の兵站基地として重視されたのと同様、尼崎は高国方にとって重要な拠点であったと考えられ、「尼崎市史」が室町時代の尼崎の発展とともに高国の事蹟に多く触れているのも合点がいった次第です。

ちなみに、後に尼崎藩主・戸田氏鉄が築城した近世の尼崎城と同じ城かどうかは明確ではないようですが、Wikipediaによれば最近の研究では寛永12年(1635)の尼崎城下絵図に「古城」と記載された部分があることから、別の城という見方が強まっているようです。