完全出来高制の変なバイトの収入が少ない。
とても自立する額じゃない。これでもいくらか暮らしの足しになるんだろうか。
もっと短期バイトなんかでがっつり稼いだ方がいいんじゃないか。
計算してみたら、先月は週三日半日パート労働くらいの収入だった。
週三日半日パート労働なんてとうてい無理なのでいいバイトだと思うようになった。
よく考えたら短期バイトなんて夢のまた夢なんだった。つい現役のころで考えちゃう。
/くたびれ はてこ
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完全出来高制の変なバイトの収入が少ない。
とても自立する額じゃない。これでもいくらか暮らしの足しになるんだろうか。
もっと短期バイトなんかでがっつり稼いだ方がいいんじゃないか。
計算してみたら、先月は週三日半日パート労働くらいの収入だった。
週三日半日パート労働なんてとうてい無理なのでいいバイトだと思うようになった。
よく考えたら短期バイトなんて夢のまた夢なんだった。つい現役のころで考えちゃう。
ダイエット器具にお金を注ぎ込む人がいる。
ダイエット食品にお金を注ぎ込む人がいる。
減量のためトレーナーを雇う人がいて、入院する人もいる。
それは美容と健康のための投資なんだ。
だから増量のためにお金を注ぎ込んだっていい。いいんだ。いいんだとも。
いいよね? どうかな。いいの? ほんとに? もったいなくない? 無駄遣いじゃない?
[どうでもいいことなので一度しか言いません]
先日のドレス試着ですが、もちおは10年連れ添っただけあって、感激ナッシングでした。
具体的にはやぶれかぶれのスパッツと伸びきったTシャツに綿入れ半纏という、いつもの救急車に乗れないファッションの妻に対するときと同じ反応でした。でも未知の状況に対して面白いことはたくさん言ってくれたので楽しかったです。
はてこもお店の方から「新婦さんはドレスにこだわりがないんですね・・・」と言われたり、「お化粧すると変わりますよ、お化粧、なさらないんですか」となんだか気の毒がられ、挙げ句具合が悪いとへたり込んだのでおろおろされました。やはり入籍を控えた新郎新婦とはテンションが違います。おかげで催眠商法には乗せられずに済みそうです。
こんな状況だったのですが、後ほどみなさんの☆とスタコメで記念日気分を味わうことができました。ほんとに感謝しています。ハイクばんざい。
まあ、そんなわけでですね。
ときどき大っぴらに「おまえら夫婦は子どもがいないな、ぷ!」という方にお会いすると、
子どもがいないことを我々がどう思っているかによらず、傷つくことはあります。
問題は何を言っているかというより、どういう意識で言ったかなのよね。
少なくともわたしにとっては。
「はてこさんはアスペだからさ、」
って言われて傷つくことなんかまったくないけど、ブログに凸してきて
「あなたはアスペルガー症候群なんですね!」
って高らかに人非人宣言していく馬鹿にはまったく嫌な気分にさせられたよ。
きっと人種や出身地や学歴・職歴、性的嗜好や宗教信条やライフスタイルで、そんな風に一瞬で
「これは正しい人のまがい品だ」
と人を判断する基準が世の中にたくさんあるのだと思う。
でもある程度知的な世界に生きていたり、都会に住んでいたりすると、
本人の前でなくても大っぴらにそういう態度を見せないようにする。
あのおばちゃんも一応わたしがいなくなったと思ったところでやっていた。
おばちゃん馬鹿だな、と思う。おばちゃんの尺度には根拠がない。
でもやっぱり人からあんな風に思われると傷つく。ほんとに。
おばちゃんの怪我を自分の体調不良と重ねて同情していたけど、
おばちゃんの中では一緒にスンナ! ってところだったんだろうな。
わたしはすぐ車でこのことをずしょさんkenさんに話した。
帰ってからもちおに話した。ハイクに書きたかった。
でも、なんだか本気で傷ついて、書けなかった。
おばちゃんにとって怪我は人生の中のちょっとしたアクシデントでドラマなんだと思う。
おばちゃんはこれまで自分の体力を自慢に思って生きてきたのだと思う。
そして慢性病や持病持ちはおばちゃんにとってジャンクみたいなものなんだと思う。
いわゆる水銀灯扱い。
どんなに自分より若かろうが、スリムだろうが、ジャンクじゃねえ、ということ。
「あたしは痩せても枯れても正規品だもの!」という晴れ晴れした誇…[全文を見る]
ずしょさんとkenさんは先に出て休んでいた。すぐ車に行くことに。
わたしは二人の後を追って下駄箱のあたりで靴の紐を結んでいたら、背後で声がした。
「・・・なんですって! あの子。見たでしょ? 痩せてたじゃない」
どうやら後から出てきたおばちゃんが、ロビーで大声で話している。
「癌保険に入れないんだってよ。ねえ、痩せすぎで」
「へえー。そんなことがあるんだな」
「そうなんだって。痩せすぎだからダメなんだって。ねえ、痩せててもさ、」
おばちゃんは、ものすごく勝ち誇った声で受付のおじちゃんと話していた。
どうやら常連で親しいらしい。
「だからね、…[全文を見る]
三ヶ月ほど脚が痛む程度でぴんしゃんしてるしよく喋るしぜんぜん元気だけど、
このおばちゃんのびんびん人生には大きな傷手だったのであろうな。
誰かに聞いてほしいのであろうな。
そう思ってうんうん頷いていたところ、眉根を寄せながらおばちゃんが言った。
「あなたなんてまだ若いからどこも悪くないし、持病もないでしょ?」
「いえ、わたしは若い頃から持病があるんです」
「あらそう」
突然おばちゃんの顔ががらりと変わった。
わたしにはそれがどういう感情の変化なのかわからなかった。
「でも痩せてるし、たいしたことないんでしょ?」
「いいえ、わたしは痩せす…[全文を見る]
「そうなんですか。お車で?」
「そう。友だちが連れてきてくれるの」
「いいお友だちがいらしてよかったですね」
「そうねえ、でも身体が動かせないから不自由だし、憂鬱なの」
「ああ、脚が動かないとほんとに不自由ですよね。家事もできないし」
「そうなの。動けないのよ。これまで病気知らずだったのに」
「そうなんですか」
「そりゃもうばりばり働いてね、人一倍元気だったのよ」
「そうですか。もしかしたらお休みが必要だったのかもしれませんね」
「そうね、休めなかったもの。これまで。でももう長いのよ」
「どのくらいですか?」
「三ヶ月よ! もう三ヶ月なの。あたし鬱病になりそうだと思って」
「そうなんですか」
「毎日憂鬱なのよ。鬱病じゃないかと思って。元気がないのよ」
さいきん深く傷ついたこと。
にこたまくんおっかけツアーの帰りに温泉に行った。
そこで憂いを帯びたおばちゃんとお風呂上がりに少し話をした。
おばちゃんはセクシーな黒のレースつきキャミにサツマイモのような身体を押し込み、
脚には包帯を巻いていた。少し前に怪我をされて、湯治に通っているのだそう。
「そうなんですか。お泊まりで?」
「いいえ、通いなの。遠いのよ、ここまで」
「どちらから?」
「茅ヶ崎よ!」※温泉は箱根
ちなみにデブと呼ばれたもう一つの例は、職場の仲良し中国人少女が
「デブー」
と言いながら背中に抱きついてきたのだった。
「え?!」
「あ、違った、オンブー」
これは傷つきませんでした。
「思い当たらないことなら傷つかない。
傷つくのは自分で相手の暴言の正当性を認めているから」
っていう説があるけど、わけのわからない暴言でも人は傷つくよね。
黒柳徹子が「窓際のトットちゃん」のなかで、眼光鋭い知らない子から「チョウセンジン!」と言われてびっくりしたと書いていた。
幼いトットちゃんは考えた。あの子は朝鮮人だ。そして人から朝鮮人だということで暴言を吐かれたことがあるんだろう。
そして自分が誰かを傷つけたいと思ったとき、その言葉を使ったのだろう。
わたしは過去に何度かデブと言われたことがあるけど、
そこに浮き彫りになる現実と乖離した憎しみと嘲笑にやっぱり傷ついたよ。
「この携帯電話!」とか「アダムスキー型UFO!」でも相手の意図によっては傷つくと思う。
だって外国語でも人は傷つけられると思うもん。
「訛りなつかし停車場効果」と名付けよう。
言葉が人格に及ぼす影響は大きいとわたしは思う。
わたしは甥に話しかけるとき、無意識に祖父の若松弁を使っていることが多い。
そうすると気持ちがのんびりおおらかになる。そして自分は大人だという自覚が強くなる。
数年前からもちおにはものすごく幼稚なしゃべり方をしていることが多い。
以前の自分には考えられない。「本気で頭おかしい」と屈辱的にすら感じたかもしれない。
でもそうやって喋るともちおは話を聞きやすく、要望に応えやすいみたいだ。
わたしも「かくあるべし」という気持ちから自由になる。
人前でもちおがいないときにも「はてこ、これがいー」とか言ってしまうことがありますが、
違うんです、あれは甘えているんじゃないんです。信じてください。
「言い方があるでしょう」とよく言われるけれど、方言は盲点だった。
これでだいぶ関係がよくなった。言ってることは同じなのに嘘みたいだ。
父と母は福岡と神奈川で生まれ、東京で出会い、標準語で会話し、喧嘩していた。
でも父の標準語はおそらく、「僕はね、」と東京の男性が話すのとは違っていた。
何よりそのスピリッツが違った。父は九州男児だった。
母は「東京の男性はやさしい」とよく言い、福岡の物言いを乱暴に感じていた。
一方で母はただのひとことたりとも福岡の言葉を喋らなかった。
その話し言葉を心から馬鹿にして、その訛りがどんなに間違っているかを強調した。
あの二人が話し方を妥協しあっていたら、もしかするとだいぶ違ったかもなと思う。
ちなみに父の今の奥さんはあやしい方言を積極的に使う。
くらもちふさこは、東京から越してきたイケメンをのぞいて、登場人物を全員山口弁で喋らせた。それも濃いやつ。どのページ開いてもオール山口弁。
わたしはもともと地方へ行けば訛りや方言を覚えたがり、
外人を見れば外国語を真似したがる傾向が強い。
それで読み終わるころにはすっかり似非山口弁で話す気まんまんだった。
そしてこれはもちおに対して予想外の効果があった。
山口弁で話すともちおも山口弁で返してきた。
そして山口弁で会話していると、喧嘩が劇的に減った。
「これせんで-。このまえ言うたよね」
「そんなんしなんなー。すかーん。せんでねー」
という風にわたしは言った。もちおはすぐ謝って、態度を改めた。
ところでそんな地獄の黙示録がどうやって解決したのでしょうか。
もちおは都内で生まれ、小学校に上がる頃地方へ引っ越した。
それで自分は東京に馴染みが深く、地方での暮らしではよそ者だったと言っていた。
それでわたしともちおは標準語で会話していた。
「これやめてほしいの。こないだ言ったよね」
「そういうことされると、すごく嫌なの。もうしないでね」
という風にわたしは話した。そしてすぐに喧嘩になった。
ある日、知人がとつぜん「面白いから」と漫画を持ってやって来た。
くらもちふさこの「天然コケッコー」を全巻。
知人は知らなかったのだけれど、これはもちおの郷里が舞台になった漫画だった。
「自分の感情をぶつけられるのは深い信頼関係があるから」
という場合ばかりでもないというお話でした。
人に極度に依存する人の中にもしょっちゅう人に感情をぶつける人がいる。
でもそういう人は、たえず依存対象の人が離れていくと思い込んでいることが多い。
深い信頼関係にある人との間では、
自分の気持ちを爆発させるような不安が起きることは少ない。
激情的な怒りや悲しみ、暴力は不安を糧に育つのであって、
他者への信頼によって引き出されるのではないとわたしは思う。
そうしてため込んだ感情を、後年ぶつけられる相手を見つけてぶつけることはある。
でもそのときぶつけられる相手というのは、信頼している人とは限らなくて、
自分より弱く、報復を予期しないで済む相手ということも多い。
「何でも言ってくれる、気持ちを見せてくれる」も、信頼されている証とは限らない。
そしてこう言った。
そしてお医者さんはこう思った。