ペスト後のイタリア絵画―14世紀中頃のフィレンツェとシェナの芸術・宗教・社 (UL双書 30) [単行本]
ミラード・ミース (著), 中森 義宗 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4805771291/
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主要目次
序文
第一章 新しい形式と内容
第二章 十四世紀中頃の二都市
第三章 罪、悔悟および宗教的法悦
第四章 スペイン礼拝堂
第五章 テキストと図像
第六章 ≪謙遜の聖母≫
第七章 ボッカッチョ
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さらには、
わたしのことをいっているのですとどんなにくりかえそうとも、そしてわたしが本当に真実、神かけてそう思ってるのだとして(ていうか、無茶苦茶ハッキリ言うとじぶんに余裕ないからひとのことはよくわからないので、この言葉にはウソがないとおもうんですが、それはそれで別の意味でたいそうどうしようもないひとだとはおもう)、そうは受けとられない可能性がたくさんあるわけで
だいたいにおいて、わたしが撃ち抜きたいひとではないひとへとこれは届いてしまうことが往々にしてある
平らな言葉で記すけれど、
何らかの抗議をするときに、弱い立場にある人間側…[全文を見る]
などというけれど、
わたしはじぶんをものを発言する場が与えられているゆえに「強者」だとおもうことにしているので(超絶だめだめな中年ニートですけどw)、小説を書いて発表するという行為には「特権的」なものがあるとしたほうが書き手自身を律するものになると信じて書いている
もちろん、そんなものはナイ、そんなふうに書き手を縛るな、ていうはなしもあるのだが、べつにこの主語はいつでもわたしで「他者」ではない、当たり前に
ここでいう「わたし」は、「個」としての作家性とでもいうべきものっを(て書きながらマジで吹いたよ!)、いやだなあもう、恥ずかし…[全文を見る]
そして、昨年わたしはそこに命をはってるひとの講演(http://h.hatena.ne.jp/florentine/243608759789604693)を聴いてきて、
命はってるって、え? て感じかもだけど、まじで、きったはったというか、
歴史と切り結ぶ、他の研究者との争い、美の判断者(とあえてかく)としての名誉と、なんかもうよくわけのわからないものをかけた戦いの一端(べつに喧嘩したとかじゃないよ、いや、ある種の威信、国家戦争的なところもないわけじゃないけど(美術というのにはどうしてもそのへん絡む)を感じたし、
そういうのとはべつに、「美意識」(わたし自身へのそれとちがって、ここ…[全文を見る]
ふとおもいついた、
http://h.hatena.ne.jp/florentine/299890373383686540
うささんへのご返答の一貫でもある
昨今では、美術館クラスの作家・アーティストといってもぜんぜんそれホンモノじゃないってひともいるので、うえのリンクでの書き方はもしやいらぬ誤解を招くような気もして不安になったなう
歴史に残るであろう、とかがいいのかな、やはり
有名であるから、または稼いでいるから、または美術館や国家や時の権力者に認められたから、ていうことでそのひとが「芸術家」だと判断するのは、少なくとも西洋美術史を眺めれば、チガウものなので
たとえば、ルネサンス…[全文を見る]
ハイク的におはようございます
クールベの『世界の起源』のはなしがTLで・・・しかもマッソン絡み??
(いちお、閲覧注意喚起しておいたほうがいいかな?)
Array
ラカンの名前とかも出てるし、よくわかんないけど面白そう
みなさん、ごきげんよう☆
はい、ありがとうございますv
ボチボチいきまするーーーーーーー☆
待ってろ、世界ーーーーーー!(くらい、言っておくYO!)
しかも、ちっとも売れっこじゃないよ、わたしってば! ><
ちょー、だめじゃんorz
受かったのを喜ぶべきなのですが素直に喜べないなう
まあでも、まあ、うんうん
地獄への道みたいなもんだけど、そこで生きると決めたのでヤル
オンオフで書くのも、そう
かけないやつは、スタートラインに立ってないってはなしなので
やるしかない
なんかでも、売れっ子のかくものがつまらなくなっていく理由って読書量が減るからってあれなのは正解かもって気がする
めっきり減った、取り戻さないとなんだけど(いちお取り戻しつつはあるんだけど)、
からだがバイトに慣れるまでは年間数百冊単位に戻すのはむずかしいかなああ
(電車の往復がないのよね)
「その時その時を私たちが不完全にしか生きられないのは、今そうであるように、かつてもまた、不完全にしか生きられなかったそれ以前の時を思い出すことにあまりに汲々としていたからだ。」
「私は自分を叱咤する。「いいかげんにしろ、打ちひしがれた心の古い物語を綴るために、これでもかと心を打ち鳴らすのは!こんなページなどうっちゃってしまえ!」私はむなしく叱咤する。どれほどいっさいをうっちゃってしまおうと思っても、何もかもがなお生き残り、よみがえってくる。」
「才能あふれる教師の微妙な役割は、三分の二の良い種を引き抜き、麦芽を繁茂するがままにして…[全文を見る]
すたこめでおはなしいただいて
そうでした、オンオフのちがい
70すぎてる美術好きなひとたちは、画人伝くらいよんでるというか、矢代幸雄とか下村寅太郎とかケネス・クラークとかは当たり前に読んでたりする
(画廊のお客さまで、このタイプのかたは美術館クラスの作家の親戚だったり友人知人だったりする、ていうのも実はある バーナード・リーチの案内したとかすらっと口にするからびびるw 中川一政に絵を習ったとか)
大学が大学らしい役目を果たしてたんだとおもうんだよな
(かんがえてみたら、団塊世代っていわゆる五月革命の流れで大学いけなかったときなのよね? あのキニャールが大学やめた時代だもの、団塊世代)
独学にしても、きちっと古典を読む訓練ができてるというか(旧仮名世代)
うちの父の書棚にヴェルフリンやフォションがあるのもきっとそのノリで
ていうことになると、
オチはあれか、
わたしが年寄りじみてるってはなし???
ttp://www.mori.art.museum/contents/aidamakoto_main/message.html
ある種のつかわれ方をするときの、しょうがないってことばは、意外と大好きですw(ご承知でしょうけれど!w)
そして、わたしはこう、どうしてそういうところに突っ込んでくるひとが好きなんでしょうねええ・・・(嘆息)
はい、力及ぶかどうかわかりませんが、もう少しやってみますね
そらから、わたしがみるかぎり世のなかのたいていのひとがつかう「良い」「悪い」は、わたしが思う処の「善悪」のはなしじゃなくて、たんに「規範」や「ルール」、「空気」や「言説」にそってるかそってないかでしかないと感じる
そういいうのはようするに社会的な要請とかいうヤツで、そういうのはもう、わたし的には善悪とはチガウはなしになる、というか、そこらへんがまさに『ツナミの小形而上学』的にいうところの「悪」のはなしと通じてしまうのだけど、みながそれはよせやめろということが本当にどうしようもなく大切な「善」である、というはなしは物語の中にはちゃ…[全文を見る]
あ、
いちお言い添えておくけど
下品とか下劣で悪いとはちっともおもってないですよ
そうじゃなきゃ、小説なんてかけないもん
わたしが例のダヴィデ記事みていちばんさいしょに思ったことって
ルネサンス美術おたくらしく、
「モノホンのミケ様のダヴィデ像も設置委員会っていうのを設けてだね、それにはミケ様のライヴァルたるレオ様はじめボッティチェッリ他、フィレンツェ中の芸術家たちが総出で侃々諤々意見を交わしたんだよねええええ」
ていうことだった
たぶん、この国でこんなことその瞬間に思ったひとは十人くらいじゃないかとおもうw(ルネサンス美術史ヤッタ人間ならきっと思い出す超有名ネタ、けど、さいしょにそれをおもうひとはこれくらいじゃないかと)
こっそり反応、発信、小説かきはけっきょく小説でしかものがまともにいえないのだ
ちゃん呼びされとるし・・・、
いえ、そっちが素ですけど(汗)、
そして照れるんですけど!(大汗)
わたしがスタコメでぶつくさいうのは、
たいていはふたつの理由からで、
ひとつは、
この社会における興業的(ひとに見せるもの、アート等含む)なものに関して己が気にくわないこと(ここらへん傍点ねw)には無視や黙殺を決めつけるのが実はイチバン有効
ていうわたしの「信条」があって(いやー、だってさー、物書きだからわかるけど、ナイものにされることより辛いことないからね!…[全文を見る]