id:florentine
florentine(磯崎愛)のことを語る

などというけれど、
わたしはじぶんをものを発言する場が与えられているゆえに「強者」だとおもうことにしているので(超絶だめだめな中年ニートですけどw)、小説を書いて発表するという行為には「特権的」なものがあるとしたほうが書き手自身を律するものになると信じて書いている

もちろん、そんなものはナイ、そんなふうに書き手を縛るな、ていうはなしもあるのだが、べつにこの主語はいつでもわたしで「他者」ではない、当たり前に

ここでいう「わたし」は、「個」としての作家性とでもいうべきものっを(て書きながらマジで吹いたよ!)、いやだなあもう、恥ずかしくてやなんだよ、こういうこと言うの><
うーーーーー

待ってろ世界! とは叫ぶけど、さけべるのだけど、
真顔で所信表明みたいなの、実力もないのに言えないよ

ていうのが、
わたしという人間の廉恥心の限界ではなくて、
小説家の、言葉というどうしようもなく扱いづらいものをつかって表現しないとならない、表現することを選んでしまった人間の「節度」、または「理性」だとおもう、ということが「距離」のはなしのひとつ