20:00からの、先週朝放送回の再放送を視聴中
銅版画家 南桂子
数年前、国立国際美術館(大阪)の所蔵品の
かなりの数が 一度に展示された展覧会があり、
その時、南桂子の作品の 実物を初めて見た(それまでは映像のみ)。
南桂子は、自身も国際的な評価を得たというのに、
にも関わらず、同じく銅版画家として
有名な夫・浜口陽三の国際的高評価ゆえに
夫の名の影に隠れてしまい、日本での知名度のほうがむしろ
低かった、という話だが、近年 再評価が進みはじめたのだという
(番組解説による)。
数年前に国立国際美術館で見た その展覧会でも、
南の作品は、浜口の作品と並べられていた。
確かに、浜口陽三の黒は 美しかった。
しかし南桂子の作品もまた、ほかにない味わいのものだった。
20:00から、今年7月に放送されたセガンティーニの回の 再放送でした。
イタリア生まれ、のちにアルプスの山に移り住んで、
雄大な自然と、その中に暮らす人々の姿に、
キリスト教に由来する人生観・人間観を織り込んで描いたセガンティーニ。
以前 美術館で、ぜんぶで3、4枚ほどセガンティーニを見たことがある。
実際に見てみると、映像や写真ではわかりづらい点 、
厚く塗り重ねられた表面の様子が 見て取れて、非常に興味深かった。
鮮やかな青や緑で自然を表わし、
細かい筆触で埋め尽くされるような その表面は、
まるで織物のようだった。
20:00~の再放送分 視聴中。 テーマはレオナルド・ダ・ヴィンチ。
マルチスペクトルカメラという 特殊なカメラで撮影し、
絵には一切手を加えずに、その絵が描かれた500年前の状態を
画面上に 復元する、というのをやっていた。
復元されたのは、チャルトリスキ美術館(ポーランド)所蔵の
『白貂(しろてん)を抱く貴婦人』(1490年頃)。
撮影により、のちの時代に手を加えられた部分が 判明し
(どこに 筆を加え 色を重ねたか)、画面上に復元されたこの絵は、
背景が明るめの藍色になり(現在は黒)、服の色も鮮やか、
レオナルドの手によるぼかしや 細部の…[全文を見る]
そして、『雪中の狩人』。
怪物を描いて 人間を風刺した作品群とは 別に
農村の光景を描いた作品群が あるが、
その、農村を描いたブリューゲル作品の中でも、
傑作中の傑作である。
本物を見てみたいと思う絵は 数々あるが、
そういう 憧れの絵の中の一枚だ。
『バベルの塔』、『雪中の狩人』 などで よく知られる
ピーテル・ブリューゲル。
さきほどから、『バベルの塔』のほかに、
『ネーデルラントの諺』 や 『子供の遊戯』 などが
紹介されているが、 『叛逆天使の墜落』 に 代表されるような、
まさに奇々怪々な ”怪物” を描いて 人間の存在そのものを
風刺している作品の、その独創性が素晴らしい。
気味の悪いものを描いているにも関わらず、
ユーモアにあふれる。
20:00~の再放送分 視聴中。
”夢の ブリューゲル傑作10選” ということで、
ブリューゲル作品を紹介。
16世紀フランドル(現ベルギー)の画家であるが、
はっきりした生年・出生地、どこで絵を学んだかも 謎である。
現実にある物を描きながら、現実を超えた存在にすら見える、
独自の静物画を描き続けた長谷川潾二郎が 書きのこした言葉
” 現実は 精巧に造られた夢である ”
20時からの再放送分 視聴 ”ピカソを捨てた女”フランソワーズ・ジロー
女性関係が、華やかというか派手というか、ある意味むちゃくちゃだったピカソ。
どの女性と別れる時も ピカソから別れを告げたが、唯一、
自らピカソを捨てた女性が、画家でもあるフランソワーズ・ジローだった。
ピカソと別れたあと、女性たちは、なぜか皆、自殺や病など 悲劇的な末路を辿った。
しかし、別れる際、「俺のような男と別れれば その後は
砂漠のような人生を送ることになる」 と言ったピカソに対し、
「生き抜いてみせる」 と答えたフランソワーズだけが、88歳と
なった今も、”生き抜いている”。
番組のインタビューに答えたフランソワーズは言った、
「彼と別れたあとの私の人生に、砂漠はなかった」、と。
ベラスケスの代表作としてあまりにも有名な作品、
『ラス・メニーナス』 には、ベラスケス本人も描かれているが、
当初 横向きに描いたものを、あとから正面向きに描きかえたことが
わかっている。 宮廷画家として、”スペイン王家の一員” である、と、
王の一家を描いたこの作品で示す必要が どうしてもあった。
当時、カトリック大国だったスペインにあって、ベラスケスは、
コンベルソ(=ユダヤ教からカトリックへの改宗者)の子孫の
家系であることを、ひた隠しにして 生きねばならなかったからだ。
20時からの再放送分 視聴中
今日は ”画家の王” とまで呼ばれたベラスケス。
弟子の一人を描いた 『フアン・デ・パレーハの肖像』 には、
あまりに優れた描写のため、見た人が、横にいるフアン・デ・パレーハ本人か、
それとも肖像画か、どちらに話しかけるか 迷った、などというエピソードまで残っているという。
20時からの再放送分を途中から視聴。
実業家の松方幸次郎が戦前に収集したコレクションがもとと
なっている、国立西洋美術館の成り立ち。
造船所の社長であったという松方は、資産があるがゆえに、
一度に買う美術品の量も多く、非常に豪快な買い方をしたという
逸話が残っているらしい。しかし、松方を長年研究している
ジャーナリストによると、当時、政府からドイツのU-ボートの
設計図を手に入れるよう密命を受け渡欧した松方が、
”豪快な美術収集家” に見えるよう、大げさに芝居をうった結果、
そのような逸話が生まれたのではないか、というのである。
U-ボートの設計図云々の話は 今回初めて聞いたので、とても驚いた。
バロック美術も、各地に広がっていくことで 徐々に変わってゆく。
バロックの劇的な表現を受け継ぎつつ、歴史画などで高い評価を得、
ヨーロッパ中から注文が殺到したルーベンス。
カトリックと関わりの深いバロックだが、カトリックの影響の少ない土地では
また違った変容を見せる。
市民が芸術家のパトロンとなる17世紀オランダでは、バロックの影響のある
写実的表現が好まれた。 フェルメールは、写実的でありつつ、なおかつ
その 繊細・緻密な技術と 観察眼で、独自の美の表現へと到達した。
バロック美術の語源となるのは ”バロック真珠”。
球形として均衡を保つ 丸い真珠ではなく、
ゆがんで、いびつな形をした真珠。
その真珠の姿から名づけられた、劇的でダイナミック、
躍動に あふれた芸術。
彫刻による ルネサンスとバロックの比較。
戦いの際、石を投げようとする 一瞬をとらえた ふたつのダビデ像。
ルネサンス、あまりにも有名なミケランジェロのダビデ像。
膝を軽く曲げ、戦いの始まる ほんの直前、武器となる石を持ちつつも
リラックスした体勢。 しかし首に浮く静脈や 瞳孔の開きで 心の
緊張を表す、”静” の彫刻。
バロック、ベルニーニのダビデ像は、全身の筋肉が波打つような、
躍動的な体躯。 聖書に書かれているダビデの持ち物も彫られ、
見ただけで ダビデと判るよう作られた、”動” の彫刻。
バロック以前の ルネサンスとの比較。
ルネサンスを代表する画家ラファエロ、その代表作 聖母子像は、
構図には安定感があり、色彩は明るく、均衡を保っていて ”理想的”。
対して バロックのカラバッジョの聖母子像は、聖なる存在というより
世俗の人物といった感じの写実的描写で、カラバッジョ特有の
”劇的” な表現。(当時として その表現が大胆すぎ、1週間で祭壇から
おろされた という いわくつきの カラバッジョの聖母子像。)
20:00~の 再放送分 視聴中。 テーマは、17世紀発祥のバロック美術。
バロックの至宝が集められたボルゲーゼ美術館。
そこにある、バロックを代表する画家、カラバッジォの作品。
また、彫刻家ベルニーニの作品の、硬い大理石とは思えない その造形。
そして、建築と絵画が一体となる 天井画。
バロック誕生の裏にはカトリック教会が関わっていた。
広く民衆に受け入れられるため、それら芸術を積極的に取り入れていた。
ほとんど自分のことを語らなかったというクリムトが、
ある時、自分自身について触れた文章に、こう記したという。
『私は自画像を描かない。自分自身に興味がないのだ。
別段、面白味のある人間でもない。
私のことに興味のある人は、私の絵を丹念に見てほしい。
私が何者であったか、絵から知るようにつとめてほしい。』
ジャポニスムの影響を多大に受けたというクリムト。
かつて神戸であった”クリムト展”では、クリムトが
蒐集したという物もいろいろ展示されていて、東洋風の布や、
たしか家具もあったと思う。有名な写真でクリムト本人が
着ている裾の長い服といい、非常に個性的な趣味で面白い。
こうしてクリムトが黄金色を多用するようになった最初の作品が、
ギリシャ神話の女神を描いた 『パラス・アテナ』。
数年前、神戸であった”クリムト展”で見た『パラス・アテナ』が
本当に素晴しかった。あの美しさは忘れ難い。『ユディットⅠ』などの
作品と比べると 小さな作品だが、軍神であり芸術の神である女神を
描いたその絵の存在感は、ひたすら凄まじかった。
今 再放送分 視聴中。 今日はクリムト。
今やってるのは、クリムトが黄金色を多用するようになった要因について。
金細工職人の家に生まれたことと、ビザンチン美術の影響が大きいだろう、
とのこと。イタリアはラヴェンナで見た壁画に影響を受けたという。
クリムトほど、絵画に黄金色を多く用いた画家は そういない、と。
そして、東洋―日本美術の影響も。
当時のウィーンで流行ったジャポニスム。ウィーン万国博覧会で見た
日本の美術品の影響だという。