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武田信虎の戦いはこれからだ!(武田・今川・北条の戦国黎明期その2) - k-holyの史跡巡りメモ

http://amago.hatenablog.com/entry/2014/07/07/124501
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ホリィ(新人)のことを語る
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軍師官兵衛
信長が「味が薄い」「家康の好みに合わせろ」とか言ってケチつけてたけど、それって何にでも味噌をかけるっていうやつやろか、って思いました。そんだけ。
あ、名古屋人disってるわけじゃないです。みそかつ好きですし。一時「つけてみそかけてみそ」も冷蔵庫に入れてました。
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今『武田信虎のすべて』を流し読んでますが、「武田信虎追放の背景」という題で平山優氏が書いてました。
飯富虎昌らの謀叛に象徴される家臣との対立が積もっていたことと、『軍鑑』が伝えるような父子対立を背景に、天文10年の飢饉で民衆の不満が高まったことを好機として、当主交代に及んだとのこと。
また、交代後に徳政を実施したことで民衆の支持を得た結果、当時の記録にも「人民悉含快楽咲」と評されることになったのではと推察されてます。
個人的には飢饉への対応はともかく、弟の信繁に家督を継がせようとした話をはじめとする父子の確執については一次史料には一切見えないので、『軍鑑』の信玄贔屓じゃないかと思います。
むしろ、宿老達に担がれた晴信が、やがて彼等譜代の老臣に代わって、自ら取り立てた近臣達を重用していったことを考えると、実は信玄も勝頼と同様に、父からの権力の継承に苦慮していたのかもしれません。
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やってる側は「合法」とか「遵法」って呼んで、取り締まる側は「脱法」と呼ぶ構図らしい。
なんで「ハーブ」とか呼ばれてるのか知らないけど、ハーブ業界(?)への風評被害が気の毒です。
でも「違法」にはできない理由があるんだろうなぁ。薬なんて使い方次第で毒にもなる物ばかりな気がするし。
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脱法ドラッグに代わる新名称を考える
こないだ八尾で「合法ハーブ」と貼り紙してる怪しげな店を見かけて、そういう言葉があると知ったんですが、その意味の分からなさが何だか可笑しかったです。
ミントとかラベンダーとか、そういうの売ってるんじゃないよな…?
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_人人人人人人人_
> 軍師久兵衛 <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
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天文10年(1541)6月に信虎が追放された理由は、当時の記録には信虎の「悪行」が原因で民衆はこれを恨み、追放を歓迎したとも書かれていますが、具体的なことは分かりません。
重臣層の不満としては関東出兵の失敗が有力なようで、諏訪氏、村上氏と組んでの小県侵攻(海野平の戦い)の成果については、そもそも合戦が追放の前月の5月25日のことで、6月14日には信虎が甲府を出て駿府へ向かったとあり(『高白斎記』による)、追放の計画は出陣中に密かに進められていたようです。
天文9年から10年にかけて甲斐では日照りと洪水による大規模な飢饉に見舞われていたことが『妙…[全文を見る]
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これとこれへの反応への感想です。
http://logmi.jp/16387
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この世の中を! ウグッブーン!! ゴノ、ゴノ世のブッヒィフエエエーーーーンン!! ヒィェーーッフウンン!! ウゥ……ウゥ……。ア゛ーーーーーア゛ッア゛ーー!!!! ゴノ! 世の! 中ガッハッハアン!! ア゛ーー世の中を! ゥ変エダイ!
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こういうのだけ文字で読んだら確かにあれですけどね…。
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なんか、会見開いて号泣した議員の様子が話題みたいですね。
素なのか演技なのかも知りませんし、話の中身も置いておくとして。
人が大勢の前で激昂してしまった様をおもしろコンテンツみたいに寄ってたかって消費するのも、さもしいことだなぁと感じてしまいます。
人前で話すのが極度に苦手な自分が、言い訳できない状況に追い込まれて集団で責められてしまったら、冷静でいられる自信はないというのもあります。
思わず笑ってしまうっていう本音もまあ、分かりますけど。
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柴辻俊六『武田信玄合戦録』一巡目読了。結局ひと通り読みました。気になったところをメモ。
信虎の対北条戦略の一環で天文2年(1533)に太郎(後の信玄)が扇谷上杉朝興の娘と結婚、1年後に夫人は懐胎するも死去。(『勝山記』による)
太郎は元服前の13歳ですが、相手は何歳だったのか…。
太郎は天文5年(1536)正月に16歳で元服、将軍義晴からの偏諱により晴信と名乗るとともに、従五位下を拝領。
『軍艦』で3月に駿河守護・今川義元の斡旋で、勅使として三条公頼が下向し信濃守を賜ったとしているのは誤り。
晴信は天文5年(1536)月不明、三条公頼の次女を正室に迎える。
『軍艦』はこれを今川義元の斡旋とし、勅命によって甲斐へ下向した三条公頼の娘を7月に輿入れさせたとあるが、まだ家督を継いだばかりで信虎ともまだ同盟関係にないため怪しい。
ちなみに三条夫人の姉は管領・細川晴元の正室、妹は後に顕如上人の正室となった如春尼。
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http://h.hatena.ne.jp/k-holy/228178324863244336
実験の結果、スパム投稿の増加に伴いスパマーが増加することが分かりました
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お塚いろいろ

惜しいが、求めているのはその色ではない

色はいいんだけど…つーか、ヤエコ姫て。社長の名前らしい(笑)

あっ、別寅かまぼこ
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参道に空き缶が放置されたりもしてましたし、神社云々というよりもどちらかと言うと単に公衆マナーの話かもしれません。
神域という話であれば、火気厳禁とか、場所によっては動物入れるなとかもあります。三輪山なんか今でも飲食禁止、撮影禁止など厳しいことで有名ですね。
まあ、寺社詣では庶民の娯楽の一つとも言えますが、できれば形だけではなくお参りの気持ちを持って来てくれたらなぁと。
金玉大明神探しに夢中になってた自分が言っても、ぜんぜん説得力ないですけど……
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いなり、こんこん…



これ、去年の本宮祭で見たこの行灯画の方が原作だったのね。
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今日は中央図書館で以下の3冊借りてきました。武田信虎絡みで選んだものです。
・柴辻俊六編『武田信虎のすべて』 新人物往来社 2007年
武田神社で買った平山優氏の著書だけを頼りにブログの記事書いてたけど、分からないことが多いので、結局定番的なこれを借りることに。
・柴辻俊六『武田信玄合戦録』角川選書 2006年
著者は武田氏研究で有名な人ですが、多分タイトルで損してる。
甲陽軍鑑の誤りがかなり具体的に説明されていて役立ちそう。平山優氏の本は軍艦の記述を無批判に受け入れているケースが散見されるので併せて読んだ方がいいかなと。
・丸島和洋『戦国大名の「外交」』講談社選書メチエ 2013年
著者は最近よく武田氏関係の論文で名前を見る若手研究者。取次の役目、書状や起請文の書き方など、かなり面白く具体的な内容。
買って手元に欲しいくらい良い本なので、今回は必要なところだけ読むかな…。
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大門先生の『軍師官兵衛』批評 第25回 「栄華の極み」をみる
http://blog.livedoor.jp/rekishireal/archives/39522519.html
さすが『戦国の貧乏天皇』なんてタイトルの本を書かれただけあって、信長が正親町天皇に譲位を迫った件について、最近の研究成果に則って詳しく解説されてます。
>>
信長の譲位の勧めに対して、正親町天皇は「(譲位は)後土御門天皇以来の願望であったが、なかなか実現に至らなかった。譲位が実現すれば、朝家再興のときが到来したと思う」と感想を述べている(「東山御文庫所蔵文書」)。
いうまでもなく、正親町天皇は大変喜んでいるの…[全文を見る]
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一方で信長がキリスト教を保護した理由は、畿内とその周辺において当時のキリシタン勢力は取るに足りないもので、ただ何となくその好奇心を充たす程度の存在であったためと説明されています。
初期の秀吉についても当初は容認していたものの、キリスト教の布教に伴う神仏排撃を問題視し、伴天連追放令においてもその教義ではなく諸宗派の共存を許さないことをもって「邪法」としており、神仏全てを尊重する「神国」日本には相応しくないというのが秀吉の論理だとしています。
追放令の直前に、パードレ達が人々を力ずくでキリシタンになすこと、僧侶を迫害し彼等と妥協せず…[全文を見る]
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二巡目読んでます。
天道思想を道徳的規範として様々な宗派の宗教が受容され共存していた当時の日本が、史上最も排他的になっていたキリスト教との不幸な出会いにより、秀吉によるバテレン追放令を経て、徳川幕府による組織的な弾圧に至ったという話ですが、特に当時の宣教師やキリシタンの言動が印象的です。
フロイス『日本史』には宣教師ガスパル・コエリョから大村純忠へ「デウスの恩恵に報いる奉仕として、殿の領内からあらゆる偶像崇拝を根絶するに優るものはない」「領内に一人の異教徒も残らぬよう全力を尽くすべき」と説いたとあり、実際に大村純忠は領内の神社仏…[全文を見る]
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ニコニコ動画に素敵なのがあった
決戦!三好vs長宗我部 『中富川の合戦』を現地映像で追う
http://www.nicovideo.jp/watch/sm21732417
>長宗我部ファンの人はもちろん、三好ファンの人にもご覧いただきたいです。
>だが仙石、テメーはだめだw
わはは
ちなみに斎藤利三の兄で今回の文書を伝えた石谷家の石谷頼辰も、十河存保や長宗我部信親とともに戸次川で島津に敗れて戦死してます。(秀吉の軍監・仙石秀久の稚拙な作戦で)
Wikipediaによると、土佐に流れて長宗我部氏に仕えた蜷川親長の室も斎藤利三の妹なんですね。
蜷川氏は政所執事の伊勢氏に仕え、代々「新右衛門」を名乗った一族です。日記で有名な一族ですが、一休さんに出てくるあの方のモデルとなった蜷川親当もここの出身。
/ホリィ(新人)
