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ホリィ(新人)のことを語る

今『武田信虎のすべて』を流し読んでますが、「武田信虎追放の背景」という題で平山優氏が書いてました。
飯富虎昌らの謀叛に象徴される家臣との対立が積もっていたことと、『軍鑑』が伝えるような父子対立を背景に、天文10年の飢饉で民衆の不満が高まったことを好機として、当主交代に及んだとのこと。
また、交代後に徳政を実施したことで民衆の支持を得た結果、当時の記録にも「人民悉含快楽咲」と評されることになったのではと推察されてます。

個人的には飢饉への対応はともかく、弟の信繁に家督を継がせようとした話をはじめとする父子の確執については一次史料には一切見えないので、『軍鑑』の信玄贔屓じゃないかと思います。
むしろ、宿老達に担がれた晴信が、やがて彼等譜代の老臣に代わって、自ら取り立てた近臣達を重用していったことを考えると、実は信玄も勝頼と同様に、父からの権力の継承に苦慮していたのかもしれません。