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ホリィ(新人)のことを語る

柴辻俊六『武田信玄合戦録』一巡目読了。結局ひと通り読みました。気になったところをメモ。

信虎の対北条戦略の一環で天文2年(1533)に太郎(後の信玄)が扇谷上杉朝興の娘と結婚、1年後に夫人は懐胎するも死去。(『勝山記』による)
太郎は元服前の13歳ですが、相手は何歳だったのか…。

太郎は天文5年(1536)正月に16歳で元服、将軍義晴からの偏諱により晴信と名乗るとともに、従五位下を拝領。
『軍艦』で3月に駿河守護・今川義元の斡旋で、勅使として三条公頼が下向し信濃守を賜ったとしているのは誤り。

晴信は天文5年(1536)月不明、三条公頼の次女を正室に迎える。
『軍艦』はこれを今川義元の斡旋とし、勅命によって甲斐へ下向した三条公頼の娘を7月に輿入れさせたとあるが、まだ家督を継いだばかりで信虎ともまだ同盟関係にないため怪しい。
ちなみに三条夫人の姉は管領・細川晴元の正室、妹は後に顕如上人の正室となった如春尼。