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ホリィ(新人)のことを語る

でも http://h.hatena.ne.jp/k-holy/9258648417710626432 で書いた、広瀬町で地元のお年寄りに山中鹿介の一騎打ちのことを尋ねたら「山口から来たのか!…尼子の敵だ!…帰れ!」と一喝された、みたいな話は好きなんですよね。
現世というより、郷土や先祖への素朴な敬意が感じられるからでしょうか。(今時はそういうのも「差別的」とか言われそうですが)

逆に、尼子フェスティバルで毛利氏、大内氏の顕彰団体から書状が届けられて和解、みたいな話もいいと思いますが。
http://www.nnn.co.jp/news/130930/20130930005.html
これ確か前回もあったはずですが、恒例の儀式みたいになってるんでしょうか。(笑)

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誤解のないようフォローしておきますが、浦上宗景と宇喜多直家のことは割と好きです。秀家のことも嫌いじゃありません。

というか、これくらいの時代の人はもう好きとか嫌いとか割とどうでもよくて、面白いか面白くないかみたいな基準になりますよね、大体。
明治以降くらいの人は自分の人生とか直接見聞きするものにかなり影響してくるので、感情的にもなりがちですが。

山城国一揆のことも、そんな古い時代のことに現世のイデオロギー補強的な目的で触れて欲しくないなぁ、という思いがあります。
そういうものが研究を進める原動力になったという面もあるんでしょうけど。

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ちなみに稲八妻は幕府御料所で、政所執事である伊勢氏の被官・進藤氏が公文を務めていて、明応の政変後に山城国守護に補任された伊勢氏と守護代・古市氏による寺社本所領への介入に抵抗する国人達が、進藤氏を張本人として集結したものの、古市氏の侵攻により敗北したという話ですが、実はその国人達の大半は細川政元の被官人でした。

また、古市氏は単純に「細川政元の武力を背景とした守護の勢力」というものではなく、応仁の乱では西軍義就方の大和国人(興福寺大乗院衆徒)で、東軍方だった国人からするとやっぱりかつての侵略者という関係。

政元の煮え切らない態度…[全文を見る]

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僕が山城国一揆について教育を受けた頃はまだ階級闘争史観に基づいた、国一揆=農民の勝利みたいなイメージで教わったものですが、さすがに資料館の解説では国人主体の一揆であったことまでは否定してませんでした。

ただ、「国人と呼ばれる地侍たちも、両軍に分かれて戦っていた。このため田畑は荒らされ、苦しむ農民の姿があった」「次第に国人と農民との間に対立が生じ…」「細川政元の武力を背景に守護の勢力が入り、国人たちは稲八妻城に籠もり戦ったが敗北し、国一揆は崩壊した」という書き方をしているあたり、まだ未練ありそうな感じです。

寺社権門が領する荘園で…[全文を見る]

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連休中は地元での国一揆の扱いを知りたくなって、ここに行ってました。


文明十五年四月十六日と刻まれた五輪塔の地輪部。義就方によって狛城が落とされた日とのこと。

大乗院寺社雑事記の「今日山城国人集会、上ハ六十歳、下は十五六歳云々…」もありました。写しかな?
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ハイクの投稿を適当にまとめて、ついでに三木でちょろっと寄った史跡の写真を載せるだけのはずが、随分と長くなってしまいました。
まとめた結果、織田政権の中国経略が遅れた最大の原因は、宇喜多氏の動きなんじゃないかと考えるようになりました。これで秀家の代で騒動を起こさず関ヶ原でもうまいこと動いてたら本当に凄かったんですが…。
毛利と織田の間で節操なく立ち回った浦上宗景と宇喜多直家の話は、また別の機会にまとめたいです。

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http://h.hatena.ne.jp/k-holy/316608947396348254
A5ランクとか書いてみたけど、ランク以前に「神戸牛ステーキ」も食べたことないです!!
「神戸牛」はバラ肉薄切りくらいまでなら何とか…?
「牛ステーキ」はもう長いこと食べてない気がする。気がするだけかも。15年くらい前に横須賀の米軍基地内で食べてあんま美味しくなかったのが割と最近の記憶。

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とうふちくわは原料的にもちくわ+とうふですが、ちくわぶに魚は入ってないって…
ちくわでも、ふでもない、ちくわぶ…

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実家に帰ってるんですが、亡き祖父の蔵書から2002年に発刊された地元の市史を読んでみたら、山城国一揆はもちろん、応仁の乱以降の畿内の情勢が思いのほか詳しく解説されててびっくり。
国一揆の成立には義就方にあって山城出兵に消極的だった越智家栄の政治的立場による協力があったこと、国一揆に協力した椿井懐専が義就に切腹させられ、義就と家栄の陣営に亀裂が生じていたこと。
国一揆の解体に際しての細川政元の判断は、古市氏の軍事力利用を考えておらず、上原元秀が古市澄胤と組んで独自に動いたこと、元秀の死後、政元と家栄は古市を山城から退けようとしたこと、…[全文を見る]

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兵庫県立考古博物館からの帰り、東二見の「田村」さんで玉子焼食べてきました。
玉子焼の本場は明石かもしれませんが、明石蛸の本場は二見なんですって。
800円とちょい高めでしたが、確かに噛みごたえのある蛸は美味しかったです。

この神戸新聞の記事、店内にも貼ってありました。
「二見のタコ 食文化培った特産」
http://club.kobe-np.co.jp/mint/article/odekake/akashiyaki-manyuki20090505.html

太閤記に秀吉が播磨平定後に信長に献上した特産品に、「姫路米、赤穂塩、明石縮、二見蛸、加古川鮎」が挙げられているという話。

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昔、何かの本で「秀吉は血を見るのが嫌いな平和主義者だから兵糧攻めを好んだ」みたいなトンチンカンなことを言ってる人がいて呆れたのをよく覚えてます。

兵糧攻めにかかる前に、連絡路や糧道を経って城に押し込めるための戦いは必ず発生しますし、押し込めてからは兵糧が尽きるまで逃亡者や降伏を許さず見つけ次第殺すのが通例です。
兵糧が尽きてからは逃亡者の降伏が受け入れられますが、慌てて物を口にして身体を壊して死ぬ者も多いそうです。
絵に描かれているように城内では動物や死体を食べるようになって、逃亡者が増えれば味方同士が疑心暗鬼に陥って統制が取れ…[全文を見る]

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兵糧攻めは力攻めされるよりも悲惨だと思います。要は時間をかけても「味方の被害」を最小限に抑えるための戦いなので…。

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生々しいのが続きます。ゴメンナサイ

切り分けた馬の肉を食べる人達の隣で、鼠か何かをまな板に乗せている様子

平井山の合戦、別所小八郎治定奮戦の様子。組伏せて首を取ろうとしているところ?傍らにはぐちゃぐちゃになった人々が…

取ったどー
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結構グロ画像です。すみません。

秀吉の本陣へ降伏の使者。左側が秀吉、右側が織田信忠。そう、総大将は信忠だったんですよね。

腹が減っては切腹もできぬ…秀吉から差し入れを貰って最期の晩餐的な城内の様子。なんか結構楽しそうに見えるのはどうなんだろう。

長治は妻子達の自害を見届けた後、切腹。介錯は別所吉親と共に加古川評定に赴いた(軍略の講釈を行って秀吉の不興を買ったという説も)という老臣・三宅治忠が行ったそうです。
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和歌山に「トラトラトラ」というラブホテルがあって…というネタを思い出しました。
(ワレ紀州二性交セリ)

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三木合戦絵図、原本図は別所氏の遺臣来住安芸守景政の寄進で寛永年間頃に制作されたものと伝えられており、天保12年、讃岐在住の別所氏末裔・別所九兵衛長善が法界寺に奉納した模写図が現在も絵解きで使用されているそうです。
金箔が貼られているという原本図は語り手の生田さんもまだ見ていないそうですが、何年か前に大河ドラマの取材で披露されたと聞いたとのこと。

平井山の秀吉方本陣

天正7年2月11日、平井山の合戦の様子。
左下の若武者が長治の弟・小八郎治定。十文字槍を振るって勇戦したものの、槍を鎧に引っ掛けてしまったところで、組伏せられて討死にしたと…[全文を見る]

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明石海峡大橋

変なキラキラ効果つけたやつ

淡路島の観覧車も見えます。昼間なら更に先に大観音も拝めるんですが、夜には無理です。

これ