id:k-holy は
ホリィ(新人)のことを語る

実家に帰ってるんですが、亡き祖父の蔵書から2002年に発刊された地元の市史を読んでみたら、山城国一揆はもちろん、応仁の乱以降の畿内の情勢が思いのほか詳しく解説されててびっくり。
国一揆の成立には義就方にあって山城出兵に消極的だった越智家栄の政治的立場による協力があったこと、国一揆に協力した椿井懐専が義就に切腹させられ、義就と家栄の陣営に亀裂が生じていたこと。
国一揆の解体に際しての細川政元の判断は、古市氏の軍事力利用を考えておらず、上原元秀が古市澄胤と組んで独自に動いたこと、元秀の死後、政元と家栄は古市を山城から退けようとしたこと、畠山基家の被官遊佐氏と古市勢の間で衝突があり状況を打開するために政元は赤沢宗益を遣わし、この様子を見た尋尊も当初はこれで山城が平穏になると期待していたこと、それに反して宗益の暴走があり政元は討手を差し向けたことなど。
今谷氏が「京兆専制」と称した政元にも、意外とままならない事が多かったのかなーと。そういう経緯の上で修行の旅に出る!とか言い出したと考えると、なんだか後の上杉謙信に通じるものが…。