http://h.hatena.ne.jp/takasima20/302356964162395133
どこの作家様かしらないけども、そんなことはてめえで学費払ってから言えぇぇって思います、はい!!!
てめえらが、その、長い夏休みとやらを満喫してる間、こっちは海の上で便器抱えてゲーゲーしながら働いてたっつの!!!
(しらんがな)
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ホリィ(新人)のことを語る
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次に嶋氏の動きが記録に表れるのは天文元年(1532)、晴元に重用され畠山氏からの独立しようとした木沢長政と、木沢に対抗して三好元長と手を結んだ畠山義堯の争いから、細川晴元政権の内部対立が激化し、晴元方の要請で本願寺門徒の大軍が動員された結果、畿内各地で門徒の蜂起が相次いだ頃。
『畠山家譜』に筒井順興の配下として家老の森九兵衛、松倉弥七郎政秀らと並んで嶋左近友之の名が記されているそうですが、松倉は筒井の左近右近として知られる松倉重信の父で、嶋の方も実在するとしても後年石田三成に仕えたいわゆる嶋左近ではなく先代であろうとのこと。
ただ、こ…[全文を見る]
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>他国では、守護代層が守護の権威を背景として、あるいは幕府と直接関係を結びつつ国人の被官化を進め、実権を掌握していく例が見られますが、大和では興福寺の影響力が強すぎて抜きん出る者が表れなかったということでしょうか。
よく考えると古市氏がこのパターンですね。早くから大乗院門跡の経覚を迎えて、古市澄胤が政元政権下でこの道を辿ってますし。
筒井氏とは敵対しつつも外敵の侵攻とあれば国人一揆を結んでいる越智氏と比べると、経済重視の政策といい確かにいわゆる戦国大名のイメージに近いです。
畠山尚順に敗れてからは本拠地の古市も失って弱体化した…[全文を見る]
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赤沢宗益は明応8年(1499)12月に秋篠城へと侵攻、前将軍派の畠山尚順に与する筒井党を破り、危機感を募らせた国人衆は永正2年(1502)2月、春日社頭に起請文を掲げて和睦して国人一揆を結成したものの、細川政元勢は河内誉田城に義英、高屋城に尚順と立て続けに両畠山氏を破り、両人が大和へ逃げ込んだことから、永正3年8月には再び赤沢宗益による侵攻が行われ、大和は赤沢の支配下に置かれました。
翌4年6月には政元が暗殺され赤沢宗益も出征先の丹後で敗死したことから、大和の国人衆も一時的に盛り返しはしたものの、細川澄元方で赤沢宗益の養子・長経の侵攻を受けて再び没…[全文を見る]
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購入当時に写真撮ってたの、すっかり忘れてたらしい…



ウォーランドは好きですけども…嶋左近、ちょっとひどくないですか プリプリ
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昼と夜

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荒神峰の鳥居

これが

山の下から見ると

こんな感じで
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猪野銅山、検索してみたけどPDF1件しかヒットしなかった。糟屋郡久山町というところにあった銅山らしい。
近くの立花城には高校の頃に訪れたことがあります。
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「よしだもろへ」さん。漫画家の方みたい。
http://www.kadokawa.co.jp/sp/201212-05/
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http://h.hatena.ne.jp/k-holy/189926738077671732
↑この一件を思い出したので、今回はこのくらいで勘弁しといてやりました。

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嶋氏が史料に現れる至徳から応永年間頃、平群谷では北部の東寺領平野殿庄一帯を平氏一族の曾歩々々(そぶそぶ)氏が、中南部の興福寺領福貴寺庄・大内庄を椿井氏が管理していたそうです。
椿井氏といえば『山城国一揆と戦国社会』にもちらほら名前が出ていた山城相楽郡の国人で、文明9年に畠山義就が大内氏と入れ替わりで侵攻した際に代官職を奪われたものの、両畠山勢が対陣を続けていた文明17年頃には義就方に付いて古市氏や越智氏に協力しています。
(椿井氏も彼らと同様に大乗院方の衆徒で、元弘の頃には官符衆徒にも任じられていたそうです)
この本ではその椿井氏…[全文を見る]
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途中ですが何せ情報量が多いのでとりあえずメモ
三成に仕えるまでの経歴が明確でないとされる島左近ですが、出自について今のところ最有力と思われるのは、大和平群谷を本拠地とする嶋氏です。
嶋氏は興福寺一乗院方の国民で、官符衆徒の筒井氏を刀禰とする乾脇党に属しており、当時の記録では『大乗院寺社雑事記』や『多聞院日記』にその名が記されている。
どちらもかつて一乗院と敵対していた大乗院方の記録ですが、前者は反筒井氏、後者は親筒井氏的な立場で書かれているとのこと。
衆徒、国民というのは大和特有の事情で、大和では周辺国を含めた多くの荘園を持つ興…[全文を見る]
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そんな思い出の地に変な爪痕残しちゃった感じで、なんかすみません!!
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高校何年だったかな?初日は東萩駅前のベンチ、2日目が東行庵でした。もちろん18きっぷで
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http://h.hatena.ne.jp/k-holy/243598931017556224
なんとなく「東行庵」で検索したらずばりな画像が出たので思わず
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武家家伝_古市氏 によると、古市澄胤は明応の政変の際に越智家栄とともに上洛しているとのことなので、その際に足利義澄(当時はたぶん義高)の知遇を得て、後に澄胤と名乗ることになったものでしょうか。
またWikipediaによれば、古市一族の派手な茶の湯に反して、わび茶の村田珠光に師事したとのことで、これもその頃のことかもしれません。
珠光が古市播磨法師(澄胤)に宛てた「心の師の文」がなかなか良いことを書いてます。(Wikipediaより)
-
この道、第一わろき事は、心の我慢・我執なり。功者をばそねみ、初心の者をば見下すこと、一段勿体無き事どもなり。功者には近つきて一言をも歎き、また、初心の物をば、いかにも育つべき事なり。
銘道にいはく、心の師とはなれ、心を師とせされ、と古人もいわれしなり。
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今はこれ読んでます。
坂本雅央『平群谷の驍将 嶋左近』

約4年前の購入当時は読んでもあまり記憶に残らなかったんですが、三好政権期から更に遡って山城国一揆や古市氏を通じて大和特有の事情が何となく分かってきたので、結構すんなり入ってくるようになりました。
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読み終えましたが、ここで論旨はほぼ出揃ってましたので、古市胤仙から澄胤あたりまでのまとめ。
古市氏は大和の有力国人の中では新興勢力であったが、元大乗院門跡の経覚を手中にしたことで木津渡を掌握するとともに、文明年間に西軍方として南山城へ進出、交通の要衝であった木津と下狛を支配拠点とした。
また、文安年間より馬借を組織して一揆を煽動していたが、文明年間に進展した南山城の関支配を通じて、輸送業者であり中小商人でもある馬借を組織化したことで、交通路と商業資本を掌握するに至った。
古市氏はこれらの商業政策で得た経済力を背景に、文明年間は南…[全文を見る]
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