武家家伝_古市氏 によると、古市澄胤は明応の政変の際に越智家栄とともに上洛しているとのことなので、その際に足利義澄(当時はたぶん義高)の知遇を得て、後に澄胤と名乗ることになったものでしょうか。
またWikipediaによれば、古市一族の派手な茶の湯に反して、わび茶の村田珠光に師事したとのことで、これもその頃のことかもしれません。
珠光が古市播磨法師(澄胤)に宛てた「心の師の文」がなかなか良いことを書いてます。(Wikipediaより)
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この道、第一わろき事は、心の我慢・我執なり。功者をばそねみ、初心の者をば見下すこと、一段勿体無き事どもなり。功者には近つきて一言をも歎き、また、初心の物をば、いかにも育つべき事なり。
銘道にいはく、心の師とはなれ、心を師とせされ、と古人もいわれしなり。
