>他国では、守護代層が守護の権威を背景として、あるいは幕府と直接関係を結びつつ国人の被官化を進め、実権を掌握していく例が見られますが、大和では興福寺の影響力が強すぎて抜きん出る者が表れなかったということでしょうか。
よく考えると古市氏がこのパターンですね。早くから大乗院門跡の経覚を迎えて、古市澄胤が政元政権下でこの道を辿ってますし。
筒井氏とは敵対しつつも外敵の侵攻とあれば国人一揆を結んでいる越智氏と比べると、経済重視の政策といい確かにいわゆる戦国大名のイメージに近いです。
畠山尚順に敗れてからは本拠地の古市も失って弱体化したようですが…政元が突然退場しなければ、どうなっていたでしょうか。
ここのブログによると柳生氏なども反筒井党だったそうで、木沢や松永といった外敵の侵攻に大和国人が一丸となって対抗した感じでもなかったようです。
http://blog.goo.ne.jp/gfi408/e/eea96f3dd8036ff151aae22ebf6b281c
