現代中国で村上春樹は圧倒的な人気を誇っているが、それを、「現代中国の若者の孤独感や喪失感と共鳴するから」というふうに説明するのは、ほんとうは本末転倒なのである。そうではなくて、現代中国の読者たちは、村上春樹を読むことで、彼らの固有の「孤独感や喪失感」を作り出したのである。
「それまで名前がなかった経験」が物語を読んだことを通じて名前を獲得したのではない。物語を読んだことを通じて、「『それまで名前がなかった経験』が私にはあった」という記憶そのものが作り上げられたのである。
「もういちど村上春樹にご用心」内田樹
柴田「内田さんも大学にいらっしゃるからお分かりでしょうけど、要するに学生運動でバリケードの中を
仕切っていた人たちが、今大学を仕切っているじゃないですか。」
内田「ふふふ。」
柴田「原理がなんだろうと、世の中には仕切るやつと仕切られるやつがいるんだなってつくづく思うなあ。」
内田「簡単に言ったらそういうことですよね(笑)。」
「もういちど村上春樹にご用心」内田樹
いや、母とは断絶したというのではない。ずっと交信していたとも言えるのだ。ベラの生活にあったことは、どれも反応としての行動だった。こういう人間になって、こういう生き方をしている。あなたのせいでこうなった、と言ってやりたい。
ジュンパ・ラヒリ「低地」p361
自分はどこへ行くんだか判らない船でも、やっぱり乗っている方がよかったと始めて悟りながら、しかもその悟りを利用する事ができずに、無限の後悔と恐怖とを抱いて黒い波の方へ静かに落ちて行った。
「夢十夜」夏目漱石
ロゼのコーヒー・ハウスの宣伝文句には、問題解決の鍵となる言葉が記されている。「公に(publiquely)」という言葉である。ここでいう「公に」とは何のことなのか。スチュアート朝の宮廷にコーヒー・ドリンクなる飲み物を献上するという意味でもなければ、庶民の飲むコーヒーをお上が公費で面倒を見てくれるという意味でもない。ロンドンには新種の公的世界ができ上がりつつあった。市民的公共性の世界、市民社会である。
コーヒーが廻り世界史が廻る 近代市民社会の黒い血液 中公新書 by 臼井隆一郎
今日に残されたおそらくは最古のコーヒーの歌も、十七世紀、イエメンのユダヤ人商人の間で歌われた『コーヒーとカート』という、アラビア文字で記されたヘブライ語の歌である。ちなみにボブ・ディランも『ワン・モア・カップ・オヴ・コフィ』で、旅立ちの前に飲む一杯のコーヒーをイスラエル旋律を思わせる節廻しで歌っている。アメリカ、ミネソタ州にユダヤ人商人の息子として生まれたロバート・アレン・ジンマーマン(本名)の血には、ことコーヒーを歌う以上は「嘆きの壁」を前にした祈りのような旋律に乗せなければ気がすまない何かが流れ続けているかのようである。
コーヒーが廻り世界史が廻る 近代市民社会の黒い血液 中公新書 by 臼井隆一郎
(ナポレオンの海洋封鎖について)ナポレオンがコーヒーのことなど念頭に入れていなかったと想定するのは難しい。ロクな栄養もないわりに、なんとなく元気が出るコーヒーを、なによりも元気が取り柄の軍隊の食事に採用したのはナポレオンだといわれている。そのコーヒーをどうするつもりなのか。産業に頼る他はない。難しいが、ナポレオンは不可能を知らない。
臼井隆一郎『コーヒーが廻り 世界史が廻る』第5章より
なんともいえない味わいのある文言だなと思って。この本、「見たきたかのように語る」系でとっても楽しいです。
来る日も来る日も若き同性愛者たちは、学校の廊下で、自宅で、職場で、攻撃を受ける。都市だろうが田舎だろうが同じだ。来る日も来る日もその若者たちは、罵られ、排除され、犯され、馬鹿にされ、侮辱され、傷つけられ、殴り倒され、物を盗まれ、汚され、孤独に追いやられ、脅され、愚弄される。うまく乗り切る者もいれば、そうでない者もいる。まやかしの人生をうまく手に入れる者もいれば、見せ物の動物になる者もいる。
いまどき同性愛者たちへの憎しみなんて存在しないと、そう信じたがる人々もいるが、そんなことはないのだ。
(中略)
そう、彼らは愛し方を学ぶ前に、嘘のつき方を覚える。けなげな嘘つきたち。まさにそんな事実を前にして、私は『トム・アット・ザ・ファーム』を書かねばならないと考えた。
(/ミシェル・マルク・ブシャール)
高橋:宮崎さん、ある時期から破綻するようになったでしょ。僕、破綻するようになってからが大好きで(笑)。つまり、もうコントロールしてないんだよね。芸術作品の自由って・・・・自由には責任が伴うとかさ、自由は完全にコントロールしなきゃいけないとかいわれるけど、作る人間だってある種投げやりに「もうどうでもいいや」と思える瞬間もあって。本当にすごいものは、そういう投げやりなところがあるものなんじゃないかと思っているんです。
高橋源一郎 Cut (カット) 2013年 11月号 宮崎駿特集
たとえば、薪のおきのなかで焼いたばかりの、とても熱い、白い、小さい丸パン、塩のきいたバタ、オリーヴ油のたっぷりかかったサーディン、牛の腎臓のひき肉料理。ポーチ・エッグに、いためベーコン、皮からはじけ出ているようなふといソーセージ、つめたいジェリーとタマゴの黄味が、パイの皮の下にかくれている自家製ブタ肉パイ。イチゴ・クリームには、こまかくふるった砂糖がかけてあり、ラズベリー・クリームには、かむと、かりかりするキャンディ式にかたまった黒砂糖がかけてあった。それから、とりたてのおいしいキノコとトリの煮たの。ミツバチのすのかたまりにク…[全文を見る]
口ではどんなに立派なことを言っている人でも、実際にはなにもそれほど立派なことばかりしているわけではない。医者として、彼は、高潔で、感受性も強く、志操堅固な人が、つねにどんなことをしているかよく知っている。彼らはドアの外で立ち聞きしたり、人の手紙を開封したり、人の秘密をこっそり嗅ぎまわったりしているーーそういう行為を一瞬たりとも是としているわけではなく、人間的苦悩のため必要やむを得ず、絶望的な気持ちに追いやられるためだ。
哀れな人間たち、哀れな悩める人間たち。ジョン・クリストウは人間の苦悩というものをよく知っていた。人間の弱さに対してはそれほど同情は持っていなかったが、苦悩に対しては理解していた。なぜならば、苦悩する人間は強い人間であることを知っていたからである。
ーーA.クリスティ「ホロー荘の殺人」
「清楚でビッチな女性」みたいなことを誰か言ってたよなーと思っていたら、ヒッチコックでした。撮影の上での話ではありますが、以下、ヒッチコック/トリュフォー『定本 映画術』(晶文社)の引用です。Tはトリュフォー、Hはヒッチコックで、映画「泥棒成金」の話です。
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T この映画から、あなたの女優の好みというか、ヒロインの一貫したイメージについて、批評家やジャーナリストが話題にしはじめたわけですが、あなたがとくにグレース・ケリーに惹かれたのはセックスが【むきだし】になっていないところだとすでに何度か語っていますね。
H スクリー…[全文を見る]
わたしは、皇后のことばを読み、それから、そこで取り上げられた人たちのことばを、懐かしく振り返り、彼らのことばには一つの大きな特徴があるように思った。彼らは、「社会の問題」を「自分の問題」として考え、そして、それを「自分のことば」で伝えることができる人たちだった。そして、そのようなことばだけが、遠くまで届くのである。
(高橋源一郎)
*「彼ら」: 花森安治・高野悦子・外間守善
われわれは自分の経験によるショック──いわゆるトラウマ──に苦しむのではなく、経験の中から目的に適うものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである。そこで特定の経験を将来の人生のための基礎と考える時、おそらく何らかの過ちをしているのである。意味は状況によって決定されるのではない。われわれが、状況に与える意味によって自らを決定するのである。
アドラー 人生を生き抜く心理学 (NHKブックス) (Japanese Edition) by 岸見 一郎
新たな日本のロックの文体を作りつつある破格の新人バンド。 音楽関係のメディアに関わっていて、仕事としてのおもしろさを感じることがいくつかあるが、「これは!」と思える新人グループに出会った時の喜びもその中の大きなもののひとつである。 しかもそれが、まだ世間で知られていない新人だと、思わずほくそえんだりしてしまう。 (中略) さてそこでエレファントカシマシだが、これは僕にとって年に一度、あるいは数年に一度といっていいくらいの出会いの感動を与えてくれたグループである。 まず、今までの日本のロックにない文体を持った言葉の感覚に驚いたし、それを…[全文を見る]
「その公正にってのがさ、いつの間にか相対的なものに擦り替わってね?あんたさ、その裁判しくじったのが悔しいだけじゃねえの?裁判官って、そんなマスコミとか馬鹿夫婦の演技とかに左右されるようなちょろいもんじゃねーだろ?厳しいんだろ?かなり偉いんじゃねーの?判決ってのはさ、そんな世間とかいう訳わかんねーもんの所為でコロコロ変わるもんなのか?そんなだらしねえものに裁かれてる訳か?俺ら」
『死ねばいいのに』(京極夏彦/講談社文庫)
Creativity is allowing yourself to make mistakes. Art is knowing which ones to keep. ~Scott Adams
これは、あなたと付き合っていたころに最後まで話さなかった、あの話だ。…
(中略)
…そのうちに、本当だったことがだんだんと虚しく思えてきた。本当のことが空っぽに感じられるっていうことは、たぶんあなたとはもう長くはないんだろうとそのときわかった。
ミランダ・ジュライ「水泳チーム」
「事実関係に関する供述は兎も角、自白に証拠性はないと僕は思うがね。動機は後から訊かれて考えるものなんだ。その時点で犯罪者は傍観者と同じ立場になってしまっている。自分がまず日常に帰るために、いかに自分で自分を納得させ得る理由を見出すか、必死で考えるんだ。それが動機だ。それが真実なのかそうでないのかは第三者に判らないだけでなく、本人にだって判りはしない。そんなものをあれこれ詮議するのは無駄なことだし、訳知り顔で解説することなど愚の骨頂と思わんか?」
「魍魎の匣」京極夏彦