口ではどんなに立派なことを言っている人でも、実際にはなにもそれほど立派なことばかりしているわけではない。医者として、彼は、高潔で、感受性も強く、志操堅固な人が、つねにどんなことをしているかよく知っている。彼らはドアの外で立ち聞きしたり、人の手紙を開封したり、人の秘密をこっそり嗅ぎまわったりしているーーそういう行為を一瞬たりとも是としているわけではなく、人間的苦悩のため必要やむを得ず、絶望的な気持ちに追いやられるためだ。
哀れな人間たち、哀れな悩める人間たち。ジョン・クリストウは人間の苦悩というものをよく知っていた。人間の弱さに対してはそれほど同情は持っていなかったが、苦悩に対しては理解していた。なぜならば、苦悩する人間は強い人間であることを知っていたからである。
ーーA.クリスティ「ホロー荘の殺人」