家の中ではおかしなことがたくさんあった。
田舎だったので、留守中に猿が入ってきているんじゃないかと言った人もいた。
家にはネズミもいた。台所で鉢合わせてお互いにびっくりしたこともある。
でも、猿やネズミでは説明のつかないこともあった。
ずっと後になってから、わたしはあの家を借りたとき玄関にお札が貼ってあったのを思い出した。
わたしは入居したその日にそれを捨ててしまった。
また後日霊能者の知人に会ったときに「よくあんな家に住めると思った」と言われた。
「あなたはそういうの好きじゃないみたいだから、言わなかったけど」。
わたしは家に入ると玄関の明かりをつけた。
台所と廊下の明かりをつけた。
居間にしていた座敷と奥の床の間のある部屋の明かりをつけた。
階段と二階の座敷二部屋両方の明かりをつけた。そして財布を見つけた。
どの部屋にもいまにも躍り上がって襲い掛かるような気配があった。
それは明かりを怖がっていなかった。それどころかその数はどんどん増えているようだった。
やっと帰ってきた。つかまえた。そう思っているようだった。
ある日遂に荷造りが終わり、大きな荷物を業者に頼み、あとは小物をレンタカーに積んで帰るだけになった。
レンタカーは後日友人と運転してくることになっている。
わたしは家を出て用事を済ませ、まっすぐ仕事先の住まいに帰ろうとしてはたと、財布を忘れてきたことに気付いた。
あたりはもう真っ暗で、家はこれまで住んできたと思えないほど不気味な闇の中にあった。
玄関のガラスの引き戸越しに部屋を覘いて、わたしは背筋が固くなるのを感じた。
でも免許証も入っているのだから、財布がないと帰れない。
荷造りの中心人物だった知人はコーディネーター気質で、不用品の貰い手を次々見つけた。
荷造りにしに家に帰ったわたしは、知人が不用品だけでなく必要なものもいくらか人にあげてしまったことを知った。
貰い手の手に渡る前にわかったものもあったけれど、もうなくなってしまったものもあった。
貴重品箱を作っておいてよかったとわたしは思った。
次の部屋は27㎡のワンルームで、廊下部分も合わせて七畳ほどしかない。
一軒家から引っ越すには長年の一人暮らしで集まった荷物を大量に処分する必要があった。
使えるものは荷造りを手伝ってくれる友人知人に自由に持って行ってもらうことにした。
わたしは不用品と間違えられないように自分にとっての貴重品箱を作った。
ほかの人の目にはゴミのようなもの、でも自分にとってはかけがえのないものをそこに入れた。
洋酒の空き箱、大事な人にもらった色鉛筆、思い入れのあるグラス、わたしはそこにまるちゃんも入れた。
一人暮らしを始めてから何度かの引っ越しをした。
あるとき大きな一軒家を一人で借りることになった。奇妙なことがたくさん起きる家だった。
その家を借りている間に遠方に就職が決まり、わたしは家をそのままにして就職先に移った。
半年ほどして仕事場の近くに部屋を借りることになり、わたしは家の荷物をまとめることにした。
近所に住んでいた知人が留守の間に荷造りを手伝ってくれると申し出てくれた。
休みのたびに長距離を移動して、わたしは荷物を片づけた。
抱き人形に対してわたしはある種の責任を感じていたので、抱き人形はなるだけ目のつくところにおいた。
一方まるちゃんにはそんな風に気を使わなかった。まるちゃんはどこにいても大丈夫だ。
まるちゃんはわたしが必要になったときにそばにいられればいいのだった。
抱き人形みたいに面倒を見てやる必要はなかった。
少しずつ大きくなって、抱き人形に話しかけてやる時間が減り、抱き人形は悲しそうな顔になった。
まるちゃんは相変わらず口を真一文字に結び、少し藪にらみの頼もしい顔をしていた。
わたしはときどきまるちゃんを出してしみじみとまるちゃんとの出会いを思い出した。
家を離れる時が来て、おもちゃはみんな置いてきた。
抱き人形とまるちゃんはわたしのバッグに入って一緒に行くことになった。
母はその後いくつか人形や人形の服を作ってくれた。
6歳の誕生日に着せ替えの抱き人形を作ってくれたし、手の込んだリカちゃん人形の服も何枚か作ってくれた。
どれもうれしかったけれど、それらはおもちゃだった。
おもちゃは言うなれば遊び仲間で、抱き人形は子供のようなものだった。
でもまるちゃんは違った。まるちゃんはわたしを見守るものだった。
わたしは毎晩抱き人形と眠って、リカちゃん人形で遊んだけれど、まるちゃんとの絆は強かった。
翌朝目が覚めると枕元に一風変わった人形があった。
大きさは大人の手のひらほどで、親指に手足が付いたような形をしている。
胴体は深い紺に紫と桃色の花柄の別珍で、親指の爪の部分が顔だった。
かまぼこ型の白い顔は木綿で、黒いボタンの目と赤糸の口があり、灰色の毛糸の前髪があった。
この人形は、ゴム鉄砲を作ってもらえないわたしを不憫に思った母が夜のうちに作ってくれたものだった。
わたしはそのころ好きだった絵本に出てくる名前をとって、まるちゃんと名づけた。
まるちゃんはいい人形だった。
綿が少なく厚手の鍋つかみのようだったけれど、どことなく安心感があり、頼もしかった。
わたしははじめて、女の子に生まれてよかったと思った。だってまるちゃんがもらえたんだもの。
その夜わたしはそれはそれは悲しい気持ちで眠りについた。
その頃母はスポック博士の育児書にはまっており、わたしは一人で家族と離れた部屋に寝かされていた。
母はわたしを一人で寝かせることでアメリカ式に自立を促そうと思っていたようだった。
年子の弟と二人分の面倒を見なくてすむという利点もあった。
最初の夜、わたしがあんまり泣くので兄も泣き出して一緒に寝かせてあげてと懇願した。
母は自立と実利のため兄の願いを却下した。
わたしの「自立した」「女の子」教育は2歳で始まっていたといえる。
当事者にとっては得するところが一つもない制度だった。
まるちゃんのこと。
3歳のころ、父が兄と弟に割り箸でゴム鉄砲を作ってくれた。
けっこう凝った作りで装飾も立派だった。長男である6歳の兄は2歳の弟よりさらに立派。
そしてわたしの分はなかった。悲嘆にくれるはてこに父は「これは男の子のおもちゃだから」と言った。
サイボーグのお父さんがスプーンで缶詰を開けたり、野生の鹿を仕留めて捌いたり、スズメバチを定点観測したり、
野鳥を撃って毟って料理したりする姿を身近で見るのは得難い財産ですよね。
母はわたしともちおと仲睦まじくいつも通りありのままに過ごしていると
「まあ、パパにそんなことしたら大変なことになったわよ」
「もちおさん、すみません。はてこがこんなで」
と始終小言を言う。でもわたしが母みたいだったらもちおは一日も持つまい。
ていうか、母がかくあるべしと思った方法で夫婦仲がどうなったか、考えてみればいいと思う。
とはいえ土曜日に二人でwii-fitで遊んだあとベッドで漫画回し読みしてたりすると、
親が自分の年齢だったときとあまりに違うことに気付いて呆然とする。
次の世代の人たち、その次の世代の人たちの家庭ってどんな風なんだろう。
外国の家庭を想像するような気持ちだ。
祖父の墓参りに行ったときのこと。
一通り掃除が済んで、さて手を合わせましょうという段になって突然母が
「じゃあ男の人から・・・」
と言い出し、夫と甥が先に手を合わせることになった。
いや、あなたのお父さまでしょう? あなたが一番でいいんじゃないですか?
ていうかひ孫はまだ分かるけど、夫は一番縁遠いよね?
と色々なことを思ったけれど、それで母の気が済むならいいかと思って黙っておいた。
子育て中、口では「男を立てるなんてバッカみたーい!」くらいの勢いだったのに
今になって唐突にこういうことを言い出すので戸惑う。
祖母なんかうちの身内の浮気が発覚したときに、嫁いでこられたよそさまの御嬢さんに
「男の人はきれいなお花が咲いていたらそこに行かずにいられないのよ。でも待っていれば必ず戻ってくるわ」
って言ってあげたのよ、とか言うんだもの。内孫ならわかるけど、お嫁さんにそれはないだろう。
そいで別の身内の奥さんの浮気が発覚した時はそりゃあ厳しいこと言ったらしい。
男の浮気は当たり前。女の浮気は言語道断。それが当たり前みたい。
「そしたらあとで娘ちゃんが『ママ、おばあちゃまに怒られてたネ』って言ったんですって」
幼児が聞いてる前で言ったんかい。
ちなみに祖母の大正アドバイスを受けたお嬢さん二人は、いずれもご実家へ帰ってしまった。
従弟に今年子供が生まれた。従弟は毎日赤ちゃんを抱っこして実家と婚家を往復しているらしい。
もしもわたしが従弟の歳で出産して夫がそれをやっていたら、親族は大騒ぎしたと思う。
でも従弟の母である叔母も祖母も、
「どう、うちの息子ちゃんてとっても進んだ父親でしょ? ふふーん!」
と思っているみたい。これはたぶんに「育メンカッコヨス」というマスコミの影響だと思う。
だってこの人たちいまだにものすごい男尊女卑だからね。叔母と祖母の中では
「立派な男性」の属性に、育児がちょっぴり入ったということだと思う。
こういうのって、「これは間違っているからこうしましょう!!!」と声高に言ってもなかなか変化しない。
でも「ダッセェ」「かっこいい!」が入ると、人は動く。
なので、タレントのアイドルママ化が進むのはいいことじゃないかなと思う。
出産して育児しながらおしゃれもする、きゃーすてき! というのは、出産のハードル下がる気がする。
「育メンすてきかっこいい!」というのが進むのもいい傾向だと思う。
そんな父親母親は軟派でいかん! と思う人も出るに違いない。
でもかっこいいもの、人気のあるものを人は求めるし、需要のあるところではお金も動く。
お金が動くといろんな物やサービスが作られる。それを買ってくれる人が優遇されるように制度が動く。
そうやって、わたしの下の世代のみなさんが社会的に子育てしやすい環境で暮らせるといいと思う。
わたしは個人的に親の呪縛だけでなく、自分と夫の間のあれこれがあってこの年まで子供を持たなかった。
でも、もしかしたらわたしたちは世代的に家庭をもって子供を産むのが難しかったんじゃないかな。
産んでも産まなくてもがちゃがちゃ言われるし、モデルにするものがないから。
家事も育児も配偶者と協力し合って家庭を持ちたいと思って育っているのに、
男性の方はそんな風に育てられていなくて、それどころかそれは男の恥だと叩き込まれているんだもの。
しかも双方の親は「家庭を持つこと=女は家事育児に打ち込むこと」と考えていたりする。
一方で女性の自立は必須項目だから、「自立=家事育児と仕事を同じレベルでこなすこと」ということに。
そんなの結婚する前に考えたら圧倒されるから結婚も出産も二の足踏む。