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わたしは条件を変えれば課題がこなせると思うことがある。
でも、みんなと同じじゃないとずるいと思われる。
体力も体格も素質も無視してとにかく一律に同じにしないと不公平だと思われる。
こういうことを言われないためにどうしたらいいかというと、
何が何でも与えられた基準で身体を壊しながらやり通すか、
みんなと一緒に何かをやる機会から身を引くかだ。
前者は賞賛の対象で、後者は後ろ盾なしの生き方を見つけないといけない。
基準自体は合理的でも道徳的でもないことが少なくないから、
違う基準の中でよさそうなところを見つけられることもある。
今回ちょっと社会的な基準に沿って生きてみようと思ったんだけど、駄目だった。
寝ていても治らないなら入院する。
とにかく早くみんなと同じペースで動けるようにする。
「それも出来なかったら?」
「とにかくうんと具合が悪いんです、って具合悪そうにするよ。自然にそうなるけど」
わたしは具合が悪そうに見えない。心底具合が悪いときでもそう。
お医者さんに何度も言われたんだから間違いない。
同じくらいの状態だったら多数派の人はまったく違う状態に見えるって。
犬や猫も具合悪いときただ大人しく見えたりするじゃん、ああいう感じ。
だから、すごく具合が悪い時にうんと無理してがんばっていると
「がんばればできるんだったら出来るんじゃない」
と言われたりする。ちょっと気が晴れなくて元気ないくらいに思われる。
そのがんばるは、身体を壊すレベルだから、長くは続かない。
わたしは電車に乗っていて気分が悪くなったら通路にしゃがむ。
出先で具合が悪くなったら横になれそうなところを探して横になる。
みんなが立っていても、座るし、
みんなが座っていても、横になる。帰れるようなら帰る。
ぎりぎりまで我慢するけど、駄目になったらそうすればいいやと思って我慢してる。
だから駄目になったときはもう本当にそれ以上耐えられない。
だいじなのは目的を達することだと思ってるから、そういうのは平気だ。
でも、もちおと結婚して、大半の人はそうじゃないとわかった。
もしも立っていられない、座っていられないほどだったら欠席するし、
欠席するくらいなら参加しない。
だから一人だけ座って、寝て、途中で帰っての参加は自分勝手だと思われる。
一人だけ他の人より楽に課題をこなそうとしていてずるいと思われる。
言われてみればそういう反応をされてきた。
身体が弱い人に寛大なのは保険診療対象外のサービス業の人たちだけ。
働いている人は自分だってきついのにずるいと思うみたいだ。
陰気な顔をしていても、と思って努めて明るく淡々としていると平気だと思われる。
そして「都合のいいときだけ病気を持ちだして」と思われる。
自分を外来種の生き物だと考えると、飼育に適した環境は
・自然が多く温暖な地域
・人工的な刺激が少なく静かな環境
だと思う。そういうところでは身も心も楽だ。
でも「東京でもここは比較的田舎だし、住宅街で静かだし」と思う。
だからここでも大丈夫なんじゃ、と信じたい。
でもそれは観察に基づく理性的な判断じゃなく、引っ越したくないからそう願うの。
甥のそばを離れるのが心配で、もちおの転職も心配だから、大丈夫だったらと思うの。
むかし、宮沢りえ主演の「スワンの涙」っていうドラマがあった。
シンクロナイズドスイミングの話。
宮沢りえは水恐怖症なのに、鬼コーチが
「おまえはシンクロの才能がある!」
って特訓するの。
あれ、水恐怖症も相当だけど、塩素アレルギーだったりしたら絶対無理じゃん。
でもそのコーチがうんとやさしいいい人で、
宮沢りえが確かに他の面ではシンクロに必要とされる才能がありそうだったら、
そして二人が塩素アレルギーについてよく知らなかったら、
すごい悲劇になりそうじゃん。
なんかわたしも信じたくないんだよね。
でも振り返ってみると、ゲーム会社にいたときからそうだったよ。この傾向。
わたしはもちおの夢を叶えられないんだと思ったらほんとに悲しい。
割とささやかだと思ったのにな。
昨日黙って涙を流していたら、もちおは何か勘違いして
「酷い目にあったねえ」
と頭を撫でてくれたけど、自分がその方向に進めないことが悲しいんじゃなかった。
だってそっちに行ったら辛く苦しく痛いことが待ってるんだもの。
そっちに行って、もちおが望むような結果を出せないのが悲しかった。
「いまはむり、げんきになったら」
というんじゃなくて、自分には体質的に絶対に無理だとわかったから悲しかった。
ハイクやはてなをやめようと思ったのは、泣き言を書き込みたいと思うのが嫌だったからだといま思った。
なんか面白いことを書かなくちゃと思う。
そうじゃないとがっかりされるなと思う。
そういう風に、キャラ設定から外れたことを書きたくなること、公開範囲を選ぶことで悩んでmixiをやめたのだった。
でもがっかりがっかりするよね。
はじめ、寝たきりから遠ざかっていることを親にも知らせようかと思った。
喜んでくれるかなと思った。
でもうまくいかなかったとき、すごくがっかりして、
「よくも騙したな」という話になるのが怖くてやめた。
父は以前わたしがびっくりするような社会的に立派な経歴の人と婚約したときも、
わたしが趣味で深めていた知識を買われて就職が決まったときも、
顔にはそれほど出さなかったけれど内心自分が認められたように得意だったらしい。
だからそれがあとになって駄目になったとき、自分が社会から否定されたように感じたようだった。
…[全文を見る]
明石家さんまは壁にぶつかると
「これは現実だ、受け入れよう」
と言うと、ほぼ日手帳に書いてあった。
わたしもそうする。
ほかのどうにもならないことと同じだ。
両親はわたしのことがよくわかっていなくて、わたしを勘違いして、ずいぶんいろんな期待をかけた。
そして何度も激しく失望して、そのたびわたしに裏切られた気持ちになった。
アイドルの私生活や個人的な意見を聞いて、裏切られたと思う人と似ていると思う。
そういう人はその後アンチになる。
わたしは人から本当によく勘違いされるから、こういうアンチは親兄弟にもいっぱいいる。
鳥居みゆきに「人間らしく素直な心」を求める番組を見ると、こういうことかと思う。
彼女は「心を開いていないから」言動が人と違うんじゃなく、感じ方や考え方が違うんだよ。
「仲良く」「お友だちに」なっても、みんなと同じにはならない。
彼女の偏食や先端恐怖症は、「好き嫌いをなくそう」とか「これはただの指だ」と考えることで変わるものじゃないんだ。
でも、すごくがっかりした。すごくすごくがっかりした。
もちおが、わたしがその方向に変化することをとても喜んでたからだ。
そんなに喜ぶなんて驚いた。
わたしは期待されることが心底負担で、これまでそれをやめてと何度も言ってきた。
でももちおもわたしを養うことが苦しくて辛いんだろうなと思った。
それをいつも済まなく思っているから、これからなんとか喜ばせたいと思った。
でもそれは無理だとわかった。
もちおにはわたしにとって何が無理なのか、感覚的にわからない。
だから一時の気分だと考えて、たしなめようとしたり励ましたりする。
もちおが望むことを叶えたいという気持ちが強くなるととても辛い。
ここまで来てやっと、最初に思ったことを考え直す羽目になった。
わたしの都合や希望で身体を思い通りにすることは出来ない。
たとえちょっとでも、長く続けて慣らそうとしても、無理なことは無理だ。
大半の人が出来ることでも、わたしには無理なことがある。
大半の人にとって無理で、わたしには平気なことがあるのと同じだ。
でも、わたしが思う社会に認められる生き方なんて関係なく生きている身体の方は
「冗談じゃないよ、どうしてこんな酷いことをさせるの?」
「助けて助けて」
って思う。わたしは身体が黙らないから身体に耳を傾けるのをやめる。
「酷いよ、痛いよ、苦しいよ」
「やめてやめて」
って身体が大声を出し始めると、それに耳を塞ぐためにほかのことに熱中する。
そして高額のマッサージに行って、お金で身体を黙らせようとした。
それで身体はわたしが嫌いになって、もう言うことを聞いてくれない。
部屋を片付けたり、料理をしたり、眠ったりしてはくれなくなった。
体型や体質から、生理的に絶対になれない職業ってある。
わたしは今から人にバレエを教える訓練を受けようとは思わない。
でも、つい閉じた部屋の蛍光灯の下でPCを注視するような仕事は出来るんじゃないかと思ってしまう。
ふつうの人はみんな出来るから。
出来ない人は健康管理や生活習慣を守る点で怠惰なのか、
はなはだ知的能力が劣っているかと言われているから。
「健康管理も生活管理もがんばってるし、頭もそんなに悪くないはずだ。
だからがんばったら出来るはずだ」
と思ってしまう。ちょっとなら大丈夫なんじゃないか、そのうち慣れるんじゃないかと。
蛍光灯が煌々としているところ、空気が淀んでいるところ、音が整理されていないところ。
そういうところでは刺激が多すぎて、バイクの荷台に置いた箱の中の小動物みたいになる。
たらっとネットを見ているのと、画面を注視するのは別で、注視は1日2時間が限度。
それ以上だと首が固まって左半身がどんどん痺れて歩けなくなる。
うまく耐える方法があるんじゃないか、慣れるんじゃないかと現実離れした希望を持って自分に無理強いをしても、それは箱に押し込めた動物が野原にいるのと同じほど元気でいるのを期待するようなものなの。
自分が思うところの社会が認める立派な生き方が出来るかと思ったんだけど、それは自分には生理的にとても苦しく、心理的負担も圧倒的で、そういう生き方しようとすると生きていけないことがわかった。
数年ぶりに未来に明るい希望を持って着々と進んでいたから、思ったようにいかないことがわかって非常に辛く悲しく、はてなもやめようと数時間ID削除手続きを前に逡巡していたけれど、よく考えなくてもはてなは無関係ですよね。
ハイクのほかに任意で失うものがないってことよねー。
放置状態のmixiとかFacebookとか退会しようと思わないもんねー。
目玉が飛び出るような値段のソフトのディスクをディスクトレーに挟んで割りかけた。