三好家、滅んでたわけじゃないから再興というのも違うか。
しかし、本能寺の変の直前にはこんだけ下手に出てたのに、変の2ヶ月後には中富川合戦で三好軍をボッコボコにしてくれてるから(ちょっと前に漫画「センゴク」でやってた話)、状況と結果を見るとなるほど四国攻め回避説というのも説得力あるよなぁと。
なお当時の三好家は長老の咲岩が三好(十河)存保を補佐していて、咲岩が秀吉の甥(後の秀次)を養子に取ってた関係で、阿波・讃岐を巡る三好と長宗我部の争いが、秀吉と光秀の対立にも繋がっていたわけです。
そこで三好家を後押しする信長が、織田信孝を大将に四国攻めを進めたから…という話。
斎藤利三が主導したという説を唱えていた桐野作人氏も早速反応してたみたい
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140623/wlf14062321440027-n2.htm
NHKでやってたやつだ
林原美術館所蔵の古文書研究における新知見について ―本能寺の変・四国説と関連する書簡を含むー - 株式会社 林原
http://www.hayashibara.co.jp/press.php?id=392
奉公衆の石谷家に伝わった文書だそうで。石谷光政の養子・頼辰が斎藤利三の実兄。
長宗我部信親が信長から偏諱を受けたことが、一次史料で初めて確認された書状も含まれているとのこと。
天正10年5月、長宗我部元親から斎藤利三に宛てた書状で、この時点で長宗我部氏は甲州征伐から信長が帰陣したら指示に従いたいと伝えているとのことですが。
本能寺の変が起きなければ、三好家は無事に再興できてたってことに。秀吉の四国攻めも回避されて、信親も死なずにすんだのかな。
(織田信孝の総取りというオチが待ってたかもしれないけど)
実はね、今回も発見したのですよ…。

まさしく、それは私のおいなりさんだ!

でも隠されて見えなかった…。

一巡目読了、いや面白かったです。中世日本の天道思想とキリスト教の類似性から始まって、キリスト教が迫害を受けるに至った経緯が語られます。
島原の乱が一揆というよりもむしろ飢饉に苦しんだ末にキリスト教への立ち帰りが進んで勃発した宗教戦争という話には目から鱗というか、階級闘争史観が歴史教育に与えた負の影響は本当に大きかったのだなぁと改めて実感しました。
各地に残るキリスト教徒による寺社や偶像破壊の伝承はキリスト教迫害を正当化するための捏造だ、みたいな意見が今も散見されますが、どうなんでしょうね。
あと、一族としては法華宗に帰依しつつ、臨済宗大徳寺派を保護し、かつキリスト教の布教も受け入れていた三好政権について、あまり触れられていなかったのがちょっと残念。
伏見稲荷大社
( ´-`)。o 0 (…今回も「金玉大明神」のお塚探しに夢中だったことは内緒にしておこう…)
いつぞやの
http://h.hatena.ne.jp/k-holy/189926738077671732
今週のアクセス数、久しぶりに3桁超える日がありました。

三木合戦はあまり描かれることなく終わったのですが、「三木合戦図」「三木合戦絵図」は一定のアクセスが来てます。
複製の複製とはいえ絵の拡大を載せてるところは珍しいと思うので、たぶん画像検索から流れてきてるんでしょう。
相変わらず「勢力図」とかで検索してくる人も多くて、すみません…播磨の勢力図は『戦え!官兵衛くん』を見るが良かですよ。
あと、御着落城の記事を上げたけど、ほとんど影響ありませんでした。みなさん小寺氏にはあんまり興味ないみたいです…。
ところでずっと気になってるのがこれ

口端て(笑)もうドラマじゃ退場してるのになぜかずっと残ってるという…。
戦え!官兵衛くん。 第266話 宇喜多直家死去
http://kurokanproject.blog.fc2.com/blog-entry-385.html
信長へのお歳暮、この話に出てくる「二見蛸」もこの時のかな。
http://club.kobe-np.co.jp/mint/article/odekake/akashiyaki-manyuki20090505.html
当時から干し蛸が保存食とされていたんでしょうか。まあ現代ほど輸送も早くなかっただろうし。
検索したら、野里鍋のほか播磨針というのも京都で有名だったみたい。
播磨は古代から瓦やら製鉄やら製造業が盛んだったんですねえ。
パスワードに代わる、新しい認証方式を考える
電話越しに「わしや」言うて認証要求してくるお客さんとかいますよね、あれはほんとやめて欲しいです。誰やねん!!知らんがな!!
今の会社に入ってから外の電話にはほとんど出ずに済んでますけども。
水道修理マグネットって見たことないなー神戸にはないのかなーって、よく考えたら自宅のポスト一度も覗いたことなかった!!
義輝暗殺は三好宗家の後継者となった義重(義継)と松永久通、三好長逸が主導したと推測されていますが、長慶の死が伝わっていなかったこともあってか、『信長公記』には「天下執権」たる三好長慶に対して義輝が「御謀反を企てらるるの由」とあるそうです。(近世に成立したはずの『北条五代記』でも長慶が義輝を討ったとされているとか)
また、義継の母が近衛家と関白の座を争った九条家の出身であったためか、義輝暗殺後に近衛家も討伐されるのではとの噂が立ったそうです。
義継は栄転授与により将軍並に家格を上昇させた三好宗家を継ぎ、九条家にも縁を持つ最高級の…[全文を見る]
松永久秀の評価については、天野先生の久秀論を未読の方には相当新鮮に感じられるはずです。
三人衆と袂を分かち、義昭を奉じた信長に降伏し、その後信長を二度裏切ったとされる久秀ですが、義輝暗殺には積極的に関わっておらず、興福寺一乗院にいた覚慶(義昭)はわが身を心配していたところで久秀から誓紙を受け取って安心したとの書状を松永久通に送っていて、久秀は当初から義昭の擁立を計画していたのではないかと見られています。
長慶の生前から松永兄弟は一門として遇されていましたが、長慶の死後、丹波を治めていた弟の内藤宗勝が荻野直正(赤井直正)に敗死し…[全文を見る]
一巡目読了しました。
天野先生の三好長慶や松永久秀への評価については以前から講演でも伺っていたので、驚くほどのことはなかったんですが、領国支配体制や家臣構成は初めて知ることが多く勉強になりました。
一番読み応えがあったのは、三好政権がいかにして足利将軍家を超越しようとしたのかというところで、まさに信長の先駆けとなった事例の解説です。
今谷明氏は義輝をはじめ幕府を近江へと追いやったことを「栄光の5年間」として、幕府との和睦を三好政権の後退と評価しましたが、天野先生は反対に、和睦以後がまさに足利家の権威に挑戦した時期だったと説明してい…[全文を見る]
三好宗家としての政務を芥川山城の義興に任せ、自身は摂津・河内・和泉・大和の全てに通じる飯盛山城で天下を睥睨するという体制で、時には大和の松永久秀をフォローすることもあったようです。
これは他の分国でも同様で、三好政権はある地方で敗れても分国の力を結集して逆襲する展開が何度か見られますが、それも水運の要衝を掌握したことで機動力を活かした戦略が可能だったからでしょうか。
あと面白いのは飯盛山城の周囲を固める城主にキリシタンが多かったことで、深野池の周辺はキリシタンの聖地として発展しており、宣教師の記録にも河内の様子が多く描かれているそうです。
松永久秀も自身は法華宗と関わりが深く後に京都で宣教師追放運動を主導しますが、家臣には清原枝賢や結城進斎ら高名なキリシタン武将がいました。高山右近の父・友照も当時は久秀の麾下に属しています。
長らく愛用してたテキストエディタPeggyが気付いたら販売終了になってた…。
http://www.anchorsystems.jp/
仕事用にはいい加減乗り換えなきゃいかんとは思ってたんで良い機会ですが、普通に文章書くのどうしようかなぁと。
今更秀丸に戻るってのも微妙だし、文章に特化するならMarkdownエディタの方がいいかも…?
永禄3年に長慶は三好宗家の家督とともに畿内の政庁・芥川山城を嫡子義興に譲って、河内の飯盛山城へと移りましたが、この城は麓に深野池が広がり、大和川水系を下って渡辺津から大阪湾に出ることができ、尼崎、兵庫津、堺といった大阪湾岸の都市を拠点とする三好政権にとって格好の居城だったようです。
あえて麓に城下町を作らず政治と経済の機能を分担し、京都に本寺の本能寺、尼崎に本興寺、堺に顕本寺、兵庫津に久遠寺、更に淡路の妙勝寺、備前牛窓の本蓮寺、備後尾道の妙宣寺、讃岐宇多津の本妙寺、阿波撫養の安立寺、果ては種子島の本源寺と、流通経路に当たる港町に教線を延ばした法華宗日隆門流を保護することで、これらの都市を経済基盤としたとのこと。
沿岸部に限らず、惣中など自律的な都市共同体を信仰の繋がりを利用して掌握しようとしたのが三好政権の特徴ですが、それが信長上洛時の崩壊の早さにも繋がったのでしょうか。
関ヶ原ウォーランドにて

大谷刑部の貴重な切腹シーン

湯浅五助

そして藤堂仁右衛門
…[全文を見る]
適当なキーワードが思いつかない写真。生駒山の山際に近い八尾市神立あたりで。


「このおく」って書いてますが、さすがに用もないのにここに踏み入るのは躊躇われました。
もうちょっとだけ続くんじゃ。
同じく崇伝が再興した河内の南禅寺派で、常光寺の兄弟寺とされている真観寺にも立ち寄ってきました。
あの畠山義就の祖父畠山満家の発願で、叔父にあたる南禅寺金地院の大業徳基が開山したそうです。

ここは何が目当てかというと…


三好長慶と義継の墓があるのです。
…[全文を見る]
「ワールドカップ」って聞いて、ワールド級のカップ?と妄想する程度のわたしですが、これには笑った。ビッグデータってこういうことだったの…
http://www.asahi.com/worldcup/2014/special/chart/

ゴールの瞬間

まだ全然途中ですが、長江正一氏、今谷明氏に続くまとめ本として意気込んで書かれたというだけあって、三好政権「再評価」の先の段階に到達したと言っても良い内容です。
「信長の先駆者」との評価を聞くことがありますが、編纂物による先入観を排して一次史料から人物像を明らかにする姿勢が徹底されており、具体的にどのような点が先駆者なのかがよく分かります。
付属の年表も一般向けとしてはあり得ないくらい詳しいし、人名索引があるのもありがたいです。
松永久秀の来歴や家臣団についても結構多く書かれているので、久秀に興味ある方にもおすすめです。
個人的に…[全文を見る]