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ホリィ(新人)のことを語る

永禄3年に長慶は三好宗家の家督とともに畿内の政庁・芥川山城を嫡子義興に譲って、河内の飯盛山城へと移りましたが、この城は麓に深野池が広がり、大和川水系を下って渡辺津から大阪湾に出ることができ、尼崎、兵庫津、堺といった大阪湾岸の都市を拠点とする三好政権にとって格好の居城だったようです。
あえて麓に城下町を作らず政治と経済の機能を分担し、京都に本寺の本能寺、尼崎に本興寺、堺に顕本寺、兵庫津に久遠寺、更に淡路の妙勝寺、備前牛窓の本蓮寺、備後尾道の妙宣寺、讃岐宇多津の本妙寺、阿波撫養の安立寺、果ては種子島の本源寺と、流通経路に当たる港町に教線を延ばした法華宗日隆門流を保護することで、これらの都市を経済基盤としたとのこと。
沿岸部に限らず、惣中など自律的な都市共同体を信仰の繋がりを利用して掌握しようとしたのが三好政権の特徴ですが、それが信長上洛時の崩壊の早さにも繋がったのでしょうか。