「歴史人」のインタビュー記事
http://www.rekishijin.jp/web-interview/dhfksdio87632/
三谷幸喜という人をあまり知らないのですが、これ読んでますます観たくなりました。
秀吉を演じる大泉洋さんにお願いしたのは、
清須会議に至るまでの前半生をきちんと見せてほしいということ。
そして、この先どうなるかは先読みしないでくれということでした。
こういう姿勢は歴史物を創作する上で一番大事だと思うのです。
歴史にifは禁物とかよく言われますが、可能性は唯一ではないし、社会も人間も、初めから完成されてなどいないという、当たり前の視点を忘れないで欲し…[全文を見る]
かなり、何言ってるのか分からない書き込みでしたねこれ。
観峰館の秋季企画展「国語読本―語り継がれる昔話」で、日本の昔話を題材にした「ちりめん本」が展示してあったのですが、中には英語に翻訳されたものもあって、当時は外国人の土産物として人気があったとのこと。
>国定教科書以前の教科書では、栗が卵になってるそうです。
>他にも蟹の仲間として牛糞や昆布が入ってるのもあって、どちらも足を転ばせる役目だとか。
これは昔の猿蟹合戦のこと。
また、当時の結末は、蟹が猿を切り刻んで鬱憤を晴らすというものだったそうです。
観峰館が思いのほか面白かったです。
Battle of the monkey and the crab David Tamson/訳 小林永濯/画

国定教科書以前の教科書では、栗が卵になってるそうです。
他にも蟹の仲間として牛糞や昆布が入ってるのもあって、どちらも足を転ばせる役目だとか。
地元(京都府南部)の典型的な瓦。


瓦のこの部分に大黒さんの顔があるのは、やっぱり山陰特有な感じです。若狭あたりでも確認してみたいところですが。
あ、別にそういう作品を楽しむのが悪いというわけではないので、念のため。
制作側に対しては、実在の人物を扱うからには今も本人や関係者の子孫がいるかもしれないことを念頭に置きつつ、敬意を払って欲しいとは思いますけど。
>もとの「おっさん」のイメージが頭の隅をよぎって萎えたりしないものなのかと
これは本当、同感ですねぇ。美少女化に限らずイケメン化も同様に感じます。
楽しめる人は切り替えが上手いか、それとも歴史の方は知らない(興味ない)かでしょうね。
よく考えたら(よく考えなくても)軍艦の名前って別の固有名詞やら普通名詞やらなので、そもそもググラビリティ低かったわ!!
あー、この問題、『艦これ』なんか結構深刻かもしれない。あれで軍艦に興味持って検索してる人も困りそう
『徳川家康』『三匹が斬る!』、あとはカロヤンアポジカくらいしか思いつかない程度の役所広司歴で好きとか言っちゃうのもプププって感じですけども
ところで 今日のGoogle検索キーワード
…。


最近こういうの本当多いけど興味ない者にとったらノイズでしかないし、モチーフにしてるだけなら別名にして欲しいなぁ
『清州会議』は観に行きたいけど、きっとツッコミとか我慢できないだろうから、一人で行くとブツブツと呟くキモい姿を晒すことになってつらいだろうなぁ。
原作はそんなに興味沸かなかったんですが、こないだ映画館の前を通りかかって、ポスターの役所広司のいい顔を観た時、自分でもおお!?ってくらいテンション上がりました。
○学生の時に観てた大河ドラマ『徳川家康』で役所広司の信長がめちゃくちゃ格好よくて、卒業文集の「尊敬する人物」に信長を挙げてしまった程度の役所広司好きなんですが…

信長政権ではお察しの通り?こういうの買っちゃう程度は勝家好きです。
先日の雨の休日は図書館に篭ってたんですが、これまで古いし分厚いからと敬遠していた『兵庫県史』第3巻、読んでみたら中央政権のことは勿論、国衆の概略についても播磨、摂津、但馬、丹波、淡路と県史の名に恥じない充実ぶりでした。
柳本賢治が細川高国に反旗を翻したことで、義晴-高国-村宗、義維-晴元-元長、それに柳本賢治と波多野稙通の兄弟や内藤国貞ら丹波勢の三つ巴になったという視点が良かったです。
丹波勢はこの時点では堺幕府方でも阿波細川氏の味方でもなく、反高国という点だけで互いに協力しているだけの存在と見ているわけですね。
波多野稙通の後…[全文を見る]
今年の健康診断は一発で合格しました!
腹部エコーで腎結石が見えるぞ!とか言われましたが…落ちるかどうかは運次第、具合悪くなったら尋常じゃなく痛むのですぐ分かる、そうなったら泌尿器科行ってくださいとありがたい助言?もいただいたので、それだけ覚えておくとします。
それはポッキーではない
カバヤがポッキーみたいなの売ってたよなーあれ名前なんだっけ、と検索してみたら、それとは別に「パッキーニ」とかいうのを出してた。
疑問の商品はプレッツェルというそのまんまな名前でした。
>細川澄元の後は嫡子・彦九郎(持隆)が、三好之長の後は嫡孫・元長が継いだ。
うわ、これ大きな間違いです。
阿波守護を務めた讃州家が細川成之-義春(之勝)-之持-持隆
之持の弟・澄元が京兆家を継いでるので、その跡を継いだのは嫡子の六郎晴元。
どちらも阿波で生まれ育ってますが、持隆は明応6年(1497)、甥の晴元は永正11年(1514)と結構歳は離れてます。
この2人、共通の敵である高国がいる間は良かったんですが、晴元が三好政長を重用し三好元長と仲違いした際には、元長を庇って晴元に対抗しています。
赤松氏との関係は、政村が持隆の妹婿で、尼子詮久の侵攻…[全文を見る]
『戦国三好氏と篠原長房』二巡目に入ってます。
『備前 浦上氏』を参照しつつ巻末の年表と播磨の情勢を合わせて読み解くと、阿波細川氏と赤松氏の関係や、赤松義村と浦上村宗の対立が及ぼした影響が見えてきて面白いです。
『昔阿波物語』によれば、篠原氏の出身地は近江国篠原で、宗半の代に多賀神社神官の荷物持ちとして阿波へ渡った際に三好之長に仕えて定住した。
之長が細川澄元の元で活躍した文亀~永正年間に「篠原左京進之良」「篠原右京進」の名が阿波国内の文書に表れており、そのどちらかが宗半を名乗ったと思われる。
宗半の子が大和守長政で、篠原氏の通字が…[全文を見る]
大門先生のブログ、癒される
http://wdaimon.blog4.fc2.com/blog-entry-200.html
昼食は、自家製の焼肉定食。今は、キャベツが高いので、袋に入ったものを購入。もちろん牛肉は外国製だ。特段の工夫はなく、単に焼いて焼肉のタレをかけるだけ。これでいいのだ。豚や鳥にも応用できる。結局、フロイスの『日本史』は、古いほうを買うことになった。索引、注釈付き。ええ勉強になりわすわい・・・。