id:k-holy は
ホリィ(新人)のことを語る

先日の雨の休日は図書館に篭ってたんですが、これまで古いし分厚いからと敬遠していた『兵庫県史』第3巻、読んでみたら中央政権のことは勿論、国衆の概略についても播磨、摂津、但馬、丹波、淡路と県史の名に恥じない充実ぶりでした。

柳本賢治が細川高国に反旗を翻したことで、義晴-高国-村宗、義維-晴元-元長、それに柳本賢治と波多野稙通の兄弟や内藤国貞ら丹波勢の三つ巴になったという視点が良かったです。
丹波勢はこの時点では堺幕府方でも阿波細川氏の味方でもなく、反高国という点だけで互いに協力しているだけの存在と見ているわけですね。

波多野稙通の後を継いだ秀忠は三好長慶に娘を嫁がせて晴元方となりますが、一方で内藤国貞は高国の没落後も晴元には従わず、細川尹賢の子・氏綱が高国の跡目を称して挙兵した際、氏綱方についているのも面白いです。

長慶が舎利寺の戦いに大勝し、後に氏綱方と和睦した際、波多野氏の娘と離縁して遊佐長教の娘を室に迎えていますが、長慶が晴元方を離反する決断には、晴元に重用された仇敵・三好政長の存在だけではなく、丹波の状況も影響したのでしょうか。

内藤国貞は、晴元方を離反した長慶が江口の戦いに勝利した後、丹波へと逃れた三好政勝や香西元成と結んだ波多野氏との戦いの中で戦死しますが、内藤氏の名跡を継いで内藤宗勝を名乗った松永久秀の弟・長頼は、八上城の波多野晴通を下して丹波を制し、三好政権の全盛期を支えました。

内藤宗勝も長慶の死後、黒井城を包囲中に荻野(赤井)直正の逆襲を受け戦死しますが、その赤井氏の方には足利義栄の将軍擁立に加担したことを理由に足利義昭によって京都を追われた近衛前久が逃れてきて、その縁で直正が前久の妹を娶ったという話もあって、なかなか複雑です。

細川氏関連を俯瞰的にまとめている方が。
http://1st.geocities.jp/tugami555syou/syouichi75.htm