>細川澄元の後は嫡子・彦九郎(持隆)が、三好之長の後は嫡孫・元長が継いだ。
うわ、これ大きな間違いです。
阿波守護を務めた讃州家が細川成之-義春(之勝)-之持-持隆
之持の弟・澄元が京兆家を継いでるので、その跡を継いだのは嫡子の六郎晴元。
どちらも阿波で生まれ育ってますが、持隆は明応6年(1497)、甥の晴元は永正11年(1514)と結構歳は離れてます。
この2人、共通の敵である高国がいる間は良かったんですが、晴元が三好政長を重用し三好元長と仲違いした際には、元長を庇って晴元に対抗しています。
赤松氏との関係は、政村が持隆の妹婿で、尼子詮久の侵攻を受けた赤松氏の救援のため天文8年に出兵、淡路に逃れていた政村を三木城に入城させています。
早くから赤松氏より自立していたとされる別所氏ですが、この時期、龍野の赤松村秀や小寺氏、明石氏などが早々に尼子方に付いた中で、別所村治は尼子氏の軍勢を撃退していて、阿波勢と連絡を取りながら政村を支援しています。
