政職と官兵衛の関係については、大門先生も「黒田官兵衛の主君は誰なのか?」という記事を書いてました。
http://shuchi.php.co.jp/article/1802
信長は英賀合戦の感状を政職に与えているのに対して、官兵衛には村重を通じて申し聞かせたという話で、官兵衛が松寿を人質に出したことも、別所重棟の娘との縁談を進めたことも、小寺氏に並ぶ一部将として扱ったことを示すのではという話。
あと当時は「小寺官兵衛」を名乗って秀吉や信長からもそう呼ばれてますが、ドラマではおそらく意図的に終始「黒田」と呼ばせてますね。その辺も作為的で嫌だなぁと感じるところです。
それならそれで、黒田を自立性の強い家と描けばいいものを、政職に対しても良い顔をさせようとするから、結局そのしわ寄せが政職と小寺家中のその他面々に押し付けられてしまうという…。
今日の『戦え!官兵衛くん。』
http://kurokanproject.blog.fc2.com/blog-entry-275.html
つっこみわろた
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官兵衛は、福原城を囲師必闕の戦法を用いて落城させようとさせますが、福原城は北と東が山、西と南が川という山の裾野にある城ですので、山側に逃走ルートを開けてしまうと、追撃するのが非常に難しくなります(⇒第161話の最初のコマが地図になっています)。
どうやって、落とすのかと思っていたら...福原城の南側が森?
福原城の地図がニセモノにすり替わっていますがな( ゚Д゚)
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国府山城への転居とセットのはずの姫路城献上の話がここで出てくるのは確かにおかしいんですが、小寺家中の官兵衛への不信の理由にしたかったんでしょうね。
でも秀吉が政職に会って官兵衛を貸すことを承諾したって話になったので、結局は相変わらずな政職の優柔不断が決め手ってことになりそうですが…。
ちなみに木下は、涙ながらに切腹しようとする鍋島信生(直茂)を説得して退却させる役でした。
鍋島に「生きて帰れよ木下っ…」とか言われてた。それ死亡フラグだから…。
木下は死んだ説と生き残った説とあるみたいですが、漫画でははっきり描いてませんでした。
http://h.hatena.ne.jp/k-holy/316612151790922370
好きとかじゃなくて、単に「五人揃って龍造寺四天王」って言いたかっただけです。ごめんなさい
ちなみに手元に島津家久が主役の『咆哮!島津十字』って漫画が(なぜか)あるんですが、そこでは木下昌直以外の4人が四天王を名乗ってて、味方のふりをして家久に近付いて一太刀浴びせようとした江里口信常が一番目立ってました。
軍師官兵衛
この先ずっと「秀吉様!」「官兵衛!」「秀吉様!!!」ってなノリでいかれたらどうしようと思ってたけど、っさすがにそんなことはなかったわ、という回でした。村重がいい仕事してる感。
でも別所長治は結局おじさん2人のなすがまま、みたいな話にするっぽいなぁ…それに、別所氏の織田方としての働きが全然描かれてないから、重棟の娘との結婚話とか出されても、あんま響かないよねぇ。
そんな感じなのに「お受けしようと思う」とか言っちゃう官兵衛が軽く見えやしないかね。
実際には婚約止まりだったんですが、ドラマでは知らぬ間にうやむやにしてしまうのか、納得いく理由を付けるのか?
鹿介が突然登場してどんな扱いを受けるのかも気になります。尼子再興がどうとか突然言われても視聴者ついてこれないだろうし、はてさて。
\五人揃って龍造寺四天王/
江里口信常、成松信勝、百武賢兼、円城寺信胤、木下昌直
雨風ひどかったので姫路行きを断念したら今頃晴れてきおった。でも晴れたり曇ったりな感じ。図書館でも行くか…
今日はジュンク堂立ち読みデー、大門先生の『牢人たちの戦国時代』をチェックしてきました。
軽く読めて興味の幅を広げるのに良さそうな感じでしたが、同じ平凡社文庫で一緒に並んでたのが黒田基樹氏の『戦国大名』。
戦国史研究の中で浮かび上がってきた戦国大名像とはどういったものなのかを明らかにするという主旨の本で、とても興味深い内容でした。
黒田基樹氏は後北条氏を代表に主に東国を研究されている方なので、西国をきっちり学んでからにしようとあえてスルーしてきたのですが、初めて読むならこれかなーという感じ。
あと気になった2冊
河内将芳 『日蓮宗と戦国京都』 淡交社 1890円
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今谷明 天野忠幸 監修 『三好長慶』 宮帯出版 3675円(ちょっと高いけど…)
http://www.miyaobi.com/publishing/products/detail.php?product_id=804
朝倉氏の東軍寝返りの件との関連については、加賀の富樫政親と幸千代の争いで朝倉-本願寺-富樫政親の連合として触れられていました。
ただ、蓮如の承諾を抜きにして有力末寺坊主・国人・農民門徒が勝手に進めたと書かれてます。
蓮如は経覚と非常に親しかったようで、経覚といえば古市氏との関係から西軍寄りなのかなと思っていたんですが、そう単純な構図ではないんでしょうか。
本には「守護代朝倉敏景」って書いてましたが、これ大きな誤りですね。
蓮如が吉崎に進出した文明3年といえば甲斐敏光とガンガンやり合ってる時期じゃないですか。
あと長享元年の足利義尚率いる六角討伐に関しても相当な事実誤認があって、天下の諸大名に出陣の命を出したが出陣に加わったのは富樫政親ただ一人だったとか、どうしてこうなったという感じです。
やはり当時はまだ、応仁の乱で幕府崩壊、諸大名は挙って下国して「戦国大名」への道を進んでいった、みたいな見方が主流だったんでしょうか。
一向宗や一向一揆と現地勢力の関わり合いについては参考になるとこ…[全文を見る]
第二章「真宗の発展と一向一揆」で加賀一向一揆まで読みました。
蓮如の吉崎への進出は、大乗院経覚との縁戚関係(吉崎は興福寺大乗院領)と守護代朝倉敏景の了解を得たものだったとか。
あまりの急進的な発展が旧仏教寺院と武士の反発を呼んだため、蓮如自身は在地節への反抗を戒めて門徒の一揆化にブレーキをかけてきたものの、有力末寺坊主や門徒化した国人は農民門徒を原動力として反抗をエスカレートさせたという話も。
やがて権門の一つと化す本願寺と各地の国人門徒で利害の対立があったこと、法主といえども一揆を自在に制御できる力を持たなかったことは、一向一…[全文を見る]
大門先生がまたブログで切ないぼやきを
http://wdaimon.blog4.fc2.com/blog-entry-331.html
先日、書店に行くとある論集が刊行されており、赤松氏や浦上氏にかかわる論考も掲載されていた。いちおう読んだのであるが、私の書いたものは参考文献に挙がっていなかった。私の実力はこんなものかと落胆した。しかたがない。兵庫県の方は、私のことを知らない。いつぞや、兵庫県内のある機関で史料をみせてもらったが、担当の方は私が赤松氏を勉強していることを知らなかった。また、地元の赤松氏に詳しいという人も、私のことを全然知らなかった。しょうがない。
兵庫県民…[全文を見る]