第二章「真宗の発展と一向一揆」で加賀一向一揆まで読みました。
蓮如の吉崎への進出は、大乗院経覚との縁戚関係(吉崎は興福寺大乗院領)と守護代朝倉敏景の了解を得たものだったとか。
あまりの急進的な発展が旧仏教寺院と武士の反発を呼んだため、蓮如自身は在地節への反抗を戒めて門徒の一揆化にブレーキをかけてきたものの、有力末寺坊主や門徒化した国人は農民門徒を原動力として反抗をエスカレートさせたという話も。
やがて権門の一つと化す本願寺と各地の国人門徒で利害の対立があったこと、法主といえども一揆を自在に制御できる力を持たなかったことは、一向一揆を理解する上で重要ですね。
ただ、やはり朝倉氏を幕府から自立した「戦国大名」と評価するあまり、細川政元に仕えた元景が惣領家の貞景に反抗して一向一揆と結んだことを、内訌に勝つために加賀門徒の力を利用したと説いていて、明応の政変以後の幕府と義材派の対立関係が軽視されている(というか当時はまだ認識されていなかった?)と感じます。
