第二章「真宗の発展と一向一揆」で加賀一向一揆まで読みました。
蓮如の吉崎への進出は、大乗院経覚との縁戚関係(吉崎は興福寺大乗院領)と守護代朝倉敏景の了解を得たものだったとか。
あまりの急進的な発展が旧仏教寺院と武士の反発を呼んだため、蓮如自身は在地節への反抗を戒めて門徒の一揆化にブレーキをかけてきたものの、有力末寺坊主や門徒化した国人は農民門徒を原動力として反抗をエスカレートさせたという話も。
やがて権門の一つと化す本願寺と各地の国人門徒で利害の対立があったこと、法主といえども一揆を自在に制御できる力を持たなかったことは、一向一…[全文を見る]
大門先生がまたブログで切ないぼやきを
http://wdaimon.blog4.fc2.com/blog-entry-331.html
先日、書店に行くとある論集が刊行されており、赤松氏や浦上氏にかかわる論考も掲載されていた。いちおう読んだのであるが、私の書いたものは参考文献に挙がっていなかった。私の実力はこんなものかと落胆した。しかたがない。兵庫県の方は、私のことを知らない。いつぞや、兵庫県内のある機関で史料をみせてもらったが、担当の方は私が赤松氏を勉強していることを知らなかった。また、地元の赤松氏に詳しいという人も、私のことを全然知らなかった。しょうがない。
兵庫県民…[全文を見る]
祥雲先生のコンクリ像だけじゃなくて、こんな謎展示品もあるし面白いですよウォーランド。

今では公式に「珍スポット」として売っているみたいですが、祥雲先生作品についてのコメントが良かった。
http://www.rest-sekigahara.co.jp/war_land/asano.html
その作品の多くはあまり有名ではない寺や歴史の浅い城、個人の霊場などに設置されています。決して由緒ある寺院や駅前に似合うものでも なく、旅館の庭に飾る類のものではありません。しかし、逆に芸術という付加価値をつけられ、保存のため見ることもできない仏像より何倍も 身近で親しい存在であるということで…[全文を見る]
間に合わなかった(笑)

子供の頃これ好きだったなぁ…
ウォーランドで個人的に一番うけた展示

よっぽど裏切り者が許せないらしい

さすがに「吉川広家 毛利家中より冷眼視される」はちょっとこじつけが過ぎるんじゃないの…日和見というなら毛利家自体がそうだったし。
というか、前日には東軍参加を確約していたそうで、井伊直政・本多忠勝からの起請文、福島正則・黒田長政からの起請文が毛利家に提出されてます。
(恵瓊と毛利秀元は知らぬ間に梯子を外された状況だったらしい)
このシリーズ記事じっくり読んでみたら面白いです。本でまとめて読みたいくらい。
堺の話で、大和川の付替えのせいで大阪と堺が分断された上に、土砂が溜まって港湾機能を失い衰退したとか、大正時代は酒造が盛んで西宮からの水の輸入量が多かったとか。
南宗寺の家康の墓についても書かれています。
この寺の開山堂の床下に無名の一墓石が、蜘蛛の巣に埋もれ、湿ッぽい姿で、薄暗い処にひそやかに立って居る。寺僧の歴代の口碑ではこれを徳川家康の墓だというて居る。元和元年大阪夏の役に、真田幸村が平野地蔵堂の焼打ちをやった時、家康は幸村の謀略に中てられて重傷…[全文を見る]
神戸大学 電子図書館システムのこんな記事が引っかかりました
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00482047&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1
大阪毎日新聞 1916.2.2-1916.4.13(大正5)
大阪の東南(十四)
木村重成の戦死した若江村には、若江城址があって現に小学校敷地となって居る。その敷地の東南隅に地下から掘出した大きな礎石を建てて祈念としてある。この若江城址は今より五百年前に於て、足利幕府の管領細川氏の執事三好義長(三好長慶の子)が幕府の執権と称して此処に居城し、其臣松永久秀に弑せらるるまで、此処で天下の成敗を司…[全文を見る]
第一章「一向一揆の諸前提」最後の方が山城国一揆なので、川岡勉先生の『山城国一揆と戦国社会』で紹介されていた研究史の流れを見てみたら、結構そのまま反映されてる感じで面白いです。
多分この本が国一揆を「国人衆と新興名主層の農民の連合」と説くことも、当時としては武士対農民という単純な構図による理解から一歩進んだ考え方だったんだろうなぁとか。
封建領主化した戦国大名の圧力に対抗するため、というのは違うと感じますが、ここでは在地領主=土豪と理解されている国人の実態まではまだまだ研究が進んでなかったということでしょうか。
あと「戦国大名」という概念に引きずられ過ぎていた時代だったのかな、とも。
その手のソフトあまり使ったことないので(スマートフォンも持ってないし)、実は既にそういう機能あるんじゃないか?とかびくびくしながらネタ考えてます。
こんな乗換案内は嫌だ
乗ってくれる人がいなくて泣いた 帰宅までに考えとこ…
類似キーワード 非常に残念な乗換検索 はあったけどリアルなアプリケーションへの不満だった
そうです、「あなた、車売る?」ってテレビCMやってた(る?)ハナテンの放出です。
Wikipedia見てみたら今は「ビッグモーター」傘下になって店名も「BIGMOTOR」になってるそうですが…。
あ、放出は「ほうしゅつ」じゃないですよ「はなてん」という地名ですよ念のため。中古車センターの。関西の人しか分からないかもしれない言葉?
一昨日買った本
笠原一男 『一向一揆 封建社会の形成と真宗の関係』

初版が昭和41年の古本ですが、衝動買いしてしまいました。
荘園制に関する記述など、書かれた時代もあってか、まだ階級闘争史観の影響が感じられますが、加賀一向一揆の内紛と朝倉氏の関わりとか、各地の門徒組織とか対象地域も広範囲で興味深い内容です。
長い長ーい三木合戦を通じてのあれこれが今回のドラマの大きな見どころでしょうし、他の部分は端折ることになるんでしょうね。
上月合戦でも亀井新十郎の出番はなさそう?
小寺政職の扱いのひどさは今回一番悪影響を及ぼしそうですね…赤松惣領家や浦上宗景はむしろ完全にスルーされただけマシだったのかもしれません。
途中で通った城東運河と放出下水処理場



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なんで松永弾正を突然取り上げたのかと思ったけど、このドラマは官兵衛と荒木村重の友情が大きいテーマのようなので、村重の前に信長から離反した一人の最期を見せるところに意味があったのかな。
あと人質の処刑は久秀の子ではなく孫ですが史実通りで、久通の12,3歳の息子2人が安土より上洛して市中引き回しの上、六条河原で処刑されたことが『兼見卿記』や『多聞院日記』に記されてます。
軍師官兵衛
今日はテーマが明確だったせいか散漫な印象もなく、ドラマとして割と見られる回だったと思います。
当時の「人質」についての感覚が違うし(今川家の竹千代が良い例ですが、人質といっても中小領主の子息は将来の有力な家臣として育成された)、松永久秀を「大和の国主」とか義昭に唆されたとか、かなり嘘っぱちでしたが、三好三人衆政権の動きも原田直政の抜擢と最期も描かれなかったのでしょうがないかな。
何か揉め事でもあったのか、石碑の文字があちこと消されててちょっと不気味な感じ…



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で祝日は東大阪まで若江城跡を見に行ってました。
跡といっても昭和47年からの発掘調査が終わった後は埋められたみたいで、石碑くらいしかなかったんですが。


出土品という石仏。かなりつるつるになっちゃってます。

この公民館の辺りが発掘現場だったようで
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