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ホリィ(新人)のことを語る

神戸大学 電子図書館システムのこんな記事が引っかかりました
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00482047&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1
大阪毎日新聞 1916.2.2-1916.4.13(大正5)
大阪の東南(十四)

  • 木村重成の戦死した若江村には、若江城址があって現に小学校敷地となって居る。その敷地の東南隅に地下から掘出した大きな礎石を建てて祈念としてある。この若江城址は今より五百年前に於て、足利幕府の管領細川氏の執事三好義長(三好長慶の子)が幕府の執権と称して此処に居城し、其臣松永久秀に弑せらるるまで、此処で天下の成敗を司ったのである。今は見る影も無い城址ではあるが、歴史の眼から見れば、仮令一時なりとも天下に号令した記念すべき場所である。シカもその号令が、足利の陪臣細川の、その又陪臣たる所謂陪々臣の身で、天下を成敗したという、有史以来空前の事蹟を残した処である。三好家のこの冒険的飛躍が、鎌倉以来、一種の思潮を形成って来た政権下移の勢いを、愈々その絶頂に到らしむる動機となったもので、遂に後年、尾張中村の掘立小屋に呱々の声を揚げた土百姓の小忰をして、摂政関白たらしむるに至らしめた、この摂政関白の力に依って今日の大阪が生れたものとすると、河内の若江城址は則ち大阪の発祥の地というても宜い。
  • 三好義長はいわゆる三好義興ですね。「松永久秀に弑せらるるまで、此処で天下の成敗を司った」とか?なところもあり強引だけど大仰な表現が面白い(笑)
    当時はいわゆる「堺幕府」も認知されてなかっただろうし、こういう見方もできたんでしょうね。