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ホリィ(新人)のことを語る

このシリーズ記事じっくり読んでみたら面白いです。本でまとめて読みたいくらい。
堺の話で、大和川の付替えのせいで大阪と堺が分断された上に、土砂が溜まって港湾機能を失い衰退したとか、大正時代は酒造が盛んで西宮からの水の輸入量が多かったとか。
南宗寺の家康の墓についても書かれています。

  • この寺の開山堂の床下に無名の一墓石が、蜘蛛の巣に埋もれ、湿ッぽい姿で、薄暗い処にひそやかに立って居る。寺僧の歴代の口碑ではこれを徳川家康の墓だというて居る。元和元年大阪夏の役に、真田幸村が平野地蔵堂の焼打ちをやった時、家康は幸村の謀略に中てられて重傷を受け、南宗寺の境内で死んだというのである。トコロが家康はその翌元和二年まで生きて居たことは争うべからざる事実の様だ。然るにこの南宗寺の境内には、東照宮が祭ってある。駿河の久能山の廟所を日光に移す時に「堺南宗寺の土を持ち来らしむ」と古文書にあるというものがある。南宗寺ではこの時土を七尺の深さに掘ったといい伝えて居る。