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ホリィ(新人)のことを語る

購入当時に写真撮ってたの、すっかり忘れてたらしい…



ウォーランドは好きですけども…嶋左近、ちょっとひどくないですか プリプリ

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荒神峰の鳥居

これが

山の下から見ると

こんな感じで
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眼力さん名物、昼と夜

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行灯画、夜はこんな感じになります。

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マルコメ


ゴンチャロフ


猪野銅山、検索してみたけどPDF1件しかヒットしなかった。糟屋郡久山町というところにあった銅山らしい。
近くの立花城には高校の頃に訪れたことがあります。

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嶋氏が史料に現れる至徳から応永年間頃、平群谷では北部の東寺領平野殿庄一帯を平氏一族の曾歩々々(そぶそぶ)氏が、中南部の興福寺領福貴寺庄・大内庄を椿井氏が管理していたそうです。

椿井氏といえば『山城国一揆と戦国社会』にもちらほら名前が出ていた山城相楽郡の国人で、文明9年に畠山義就が大内氏と入れ替わりで侵攻した際に代官職を奪われたものの、両畠山勢が対陣を続けていた文明17年頃には義就方に付いて古市氏や越智氏に協力しています。
(椿井氏も彼らと同様に大乗院方の衆徒で、元弘の頃には官符衆徒にも任じられていたそうです)

この本ではその椿井氏…[全文を見る]

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途中ですが何せ情報量が多いのでとりあえずメモ

三成に仕えるまでの経歴が明確でないとされる島左近ですが、出自について今のところ最有力と思われるのは、大和平群谷を本拠地とする嶋氏です。

嶋氏は興福寺一乗院方の国民で、官符衆徒の筒井氏を刀禰とする乾脇党に属しており、当時の記録では『大乗院寺社雑事記』や『多聞院日記』にその名が記されている。
どちらもかつて一乗院と敵対していた大乗院方の記録ですが、前者は反筒井氏、後者は親筒井氏的な立場で書かれているとのこと。

衆徒、国民というのは大和特有の事情で、大和では周辺国を含めた多くの荘園を持つ興…[全文を見る]

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そんな思い出の地に変な爪痕残しちゃった感じで、なんかすみません!!

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姉と姉旦那のデイトスポッツであったと結婚式で紹介されていました。いまは近所に家を建てて住んでいます。

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高校何年だったかな?初日は東萩駅前のベンチ、2日目が東行庵でした。もちろん18きっぷで

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武家家伝_古市氏 によると、古市澄胤は明応の政変の際に越智家栄とともに上洛しているとのことなので、その際に足利義澄(当時はたぶん義高)の知遇を得て、後に澄胤と名乗ることになったものでしょうか。
またWikipediaによれば、古市一族の派手な茶の湯に反して、わび茶の村田珠光に師事したとのことで、これもその頃のことかもしれません。

珠光が古市播磨法師(澄胤)に宛てた「心の師の文」がなかなか良いことを書いてます。(Wikipediaより)

  • この道、第一わろき事は、心の我慢・我執なり。功者をばそねみ、初心の者をば見下すこと、一段勿体無き事どもなり。功者には近つきて一言をも歎き、また、初心の物をば、いかにも育つべき事なり。
  • 銘道にいはく、心の師とはなれ、心を師とせされ、と古人もいわれしなり。

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今はこれ読んでます。
坂本雅央『平群谷の驍将 嶋左近』

約4年前の購入当時は読んでもあまり記憶に残らなかったんですが、三好政権期から更に遡って山城国一揆や古市氏を通じて大和特有の事情が何となく分かってきたので、結構すんなり入ってくるようになりました。

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読み終えましたが、ここで論旨はほぼ出揃ってましたので、古市胤仙から澄胤あたりまでのまとめ。

古市氏は大和の有力国人の中では新興勢力であったが、元大乗院門跡の経覚を手中にしたことで木津渡を掌握するとともに、文明年間に西軍方として南山城へ進出、交通の要衝であった木津と下狛を支配拠点とした。

また、文安年間より馬借を組織して一揆を煽動していたが、文明年間に進展した南山城の関支配を通じて、輸送業者であり中小商人でもある馬借を組織化したことで、交通路と商業資本を掌握するに至った。
古市氏はこれらの商業政策で得た経済力を背景に、文明年間は南…[全文を見る]

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こんな場所で寝たことあるよ
どん引きされそうな場所をたくさん挙げることはできますが、どん引きされそうなのでやめときます(知らんがな)

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・古市氏の南山城進出

木津氏は興福寺一乗院の坊人であり経覚にとっては他門に属する者だが、大乗院門跡は木津渡における年貢運搬・馬借の監督者である御問職の補任権を掌握していた。
経覚も『経覚私要鈔』において長禄四年(1460)九月当時に自身が御問職を知行したことを記しており、当然木津氏とも深い関係にあった。

古市氏は経覚を手中にしたことで木津渡をも掌握することとなり、『経覚私要鈔』享徳二年(1453)二月二四日条には、胤仙が伊勢国司北畠教具の石清水八幡宮参拝に際して木津船の手配を依頼されたことが記されている。

応仁の乱の頃、胤栄の代には南山城へ…[全文を見る]