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ホリィ(新人)のことを語る

http://www.katch.ne.jp/~anjomuse/exhibitions/kikaku/ikki/ikki.htm

  • この一揆に乗じて、家康に従っていた領主、城主たちも加担し、足かけ2年もの間、当地域は内戦状態におちいりました。争いは一揆方の敗北に終り、主要な寺院の僧侶や一揆方に組した領主や家康家臣が追放されます。僧侶をはじめ家康家臣が赦されて三河にもどるのは、約20年後の天正13年(1585)でした。
  • この辺、家康が一揆方に与した家臣に寛大な処置をとったという通説と違うので興味深いです。
    あの本多正信も以後長年に渡って流浪してますし(松永久秀の客将となったという話もありますね)、信…[全文を見る]

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面白そうなのやってるなぁ…
安城市歴史博物館
特別展「三州に一揆おこりもうす -三河一向一揆450年-」
http://www.katch.ne.jp/~anjomuse/exhibitions/kikaku/ikki/ikki1.htm

  • 12月15日(日) 14:00~
     「一向一揆とは何か」
     講師:金龍 静氏(本願寺史料研究所副所長)
  • 松平シンポジウム「三州に一揆おこりもうす -三河一向一揆の本質を問う-」
    http://www.katch.ne.jp/~anjomuse/exhibitions/kikaku/ikki/ikki.htm
  • 日 時  平成26年1月25日(土) 13:00~16:30
    場 所  安城市歴史博物館エントランス(200席程度)

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くけこ(絎子?)さんまで視野に入れてたんでしょうか。
さじ加減の難しい問題だと考えさせられます。

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とりあえず、もし僕の子供が生まれても、ちんぽこ丸とか付けるのはよしておこうと思います。

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畠山義就の息子は修羅、細川京兆家は代々が聡明丸、そして蠣崎季広の息子(松前慶広)が天才丸ぅぅ
あとなんかあったかな

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【想像で語らないジェイソン】「じぇいそん」といえばJSON - JavaScript Object Notationを日常的に扱ってるわけですが、何故かこれを「ジョンソン」と呼ぶ人がいて、どう反応していいのか分からなくていつもスルーしてしまいます、はい【知らんがな】

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http://h.hatena.ne.jp/k-holy/81806814155554573
誰もが知ってる長寿連載を外して印象に残っている作品を思いつくまま並べたんですが、「アカテン教師梨本小鉄」で検索してみたら意外な人気があったようでちょっと驚いてます。
「恐竜大紀行」は当時僕の回りでは流行ってて、ケロンじいさんとか超話題になってたのに早々に終わってとても残念だったのを覚えてます。
「蹴撃手マモル」も結構流行ってました。首相撲からのチャランボとかめっちゃ流行った。
で、今検索したらチャランボってムエタイにはない言葉だからゆでたまご先生の造語だ!とかで、衝撃とともに感銘を受けているところです。知らんがな

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平手政秀の死についても興味深い考察がされています。

美濃攻めの惨敗と第二次小豆坂合戦の敗退により劣勢に追い込まれ、西三河の橋頭堡であった安祥城を失い、講和によって辛うじて刈谷城を確保したものの、鳴海城主・山口教継に離反され知多半島の付け根に楔を打ち込まれた状況となり、指導力を失った晩年の信秀に対して、信長はクーデターに近い形で主権を剥奪したという説です。

そして、信秀の葬儀において信長が抹香を掴んで投げつけたという有名なシーンは、対抗する信勝派が政治的な意図をもって葬儀を執り行ったことに対し、葬儀自体を否定する意志を見せつける…[全文を見る]

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今日wikipediaから得た知識
織田氏の末裔というフィギュアスケートの織田信成選手がどこの織田なのか気になって、本人のことは全然知らないのですが関西訛りだったので、もしや柏原藩主の系統かなと思いつつWikipedia見てみたら、ありがちな自称大名の末裔みたいな話が書かれていてちょっと寂しかったです。

  • 織田信長 - 初代:信高(七男) - 2代:高重 - 3代:一之 - 4代:信門 = 5代:信倉(養子) = 6代:信直(養子) - 7代:長孺 - 8代:長裕 - 9代:信真 - (10代から13代は不明)- 14代:重治 - 15代:信義 - 信成(次男)

    ただし「自称歴史研究家である祖父が、歴代以前に…[全文を見る]

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何度目か分からないけど2008年に出版された『新説 桶狭間合戦』を再読中。

今川義元の狙いは大高城から船で伊勢湾に出て、夏の季節風を利用し、織田方の重要な海上交通と経済の拠点であった熱田、蟹江、津島を襲撃、海上封鎖によって知多半島を織田方から切り離すとともに、経済基盤を崩壊させることにあったという説。
この本は漫画『桶狭間戦記』の補完になればと思いつつ買ったものですが、そちらも何度目かの再読でところどころ確認しながら読むと、漫画に描かれている義元の戦略はこの説と全く同じものでした。
鷲津・丸根砦と大高城への兵糧入れの前後関係や、義元が…[全文を見る]

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これは18きっぷ向き案件
http://www.kanko-sekigahara.jp/event/201312/index.html

  • 関ケ原の今年1年間の総決算として、また、来年の関ケ原をさらに盛り上げるために、全国の関ケ原ファン、戦国ファンが集い交流するイベント、関ケ原ファイナルイベント「関ケ原ファンの集い2013」を開催します。
    今年は、ステージと交流サロンに加えて、関ケ原合戦祭りのポスターイラストを三度手がけたイラストレーター・長野剛氏の原画展を同時開催し、長野氏本人も来場する予定です。
    どなたでもご参加いただけますので、ぜひご参加ください。

    2013年12月15日(日)13:00~16:30 ※小ホールは10:00~17:00
    関ケ原ふれあいセンター
    岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原894-29
    名神高速道路関ケ原ICから車で5分、JR関ケ原駅下車徒歩8分

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信長が安土に入った期間はせいぜい3年くらいで織田政権期の呼称として微妙だし、それ以上に「桃山」は当時の呼称を無視してなんでわざわざ後世の呼称を使うのかと常々思ってて、Wikipediaを見ると研究者の間でも同様の意見があるようです。
美術史では政権の在処を問わず織豊期の文化を指して「桃山文化」呼ぶものとのことですが…。

なお、戦前には鎌倉時代→吉野朝時代→室町時代→安土桃山時代→江戸時代という区分があったようですが、これなら基準は明確な気がします。
逆賊である足利尊氏の天下は認めないという立場で、足利義満の南北朝統一をもって室町時代が始まり、信長が足利義昭を追放したことをもって安土桃山時代が始まると捉える考え方でしょうか。
これが戦後になって黒歴史を塗りつぶすがごとく吉野朝時代を「南北朝時代」って呼び出したもんだから、室町時代の定義があやふやになったのかなと推察しますが、どうでしょう。

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http://h.hatena.ne.jp/nekoana/316609598956291278
これ本当に難しい問題で、室町時代はいわゆる南北朝時代や戦国時代の一部を含んでますし、そもそも「戦国時代」の期間の定義はかなりばらつきがあって、要は戦国時代とはなんぞやという基準が明確でないわけです。
長らく応仁の乱以後というのが通説でしたが、実際はそれ以前から関東ではとっくに戦乱の只中でしたし、最近はいわゆる京兆専制によって幕府-守護体制が変容した明応の政変以後という説が強いみたいですが、個人的には嘉吉の乱まで遡るような気もして、そもそもそこ分ける意味あんの?って思い始めています。
堺幕府とか鞆幕府とか言い出したらきりがないし、特に安土桃山って分けるのは織豊中心史観の残滓でしかないのではと。

それこそ最初に言い出したのは誰なのかしらって感じなんですが、当時は研究が進んでなくて分かりやすいところで区分しただけだったりするんでしょうか。

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鎌倉、2006年


これは何度か使ってるやつ、大きめサイズで上げ直しました。
ちなみにこの扉は享保21年(1736)に建長寺の塔頭から寄付されたものなんですって。
http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/target.php?id=4251

山海堂、昔からその筋では有名な土産物店。天井からモーニングスターとかぶら下がってて爆笑もんでした。今でもあるのかな…?

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今はなき神戸市中央卸売市場の旧関連棟


跡地には大河ドラマ『平清盛』に合わせて歴史館が1年限定でオープン。今はもうそれもありません。

この食堂は新しく建て替わった市場の2階で「洋食ひらおか」として営業されてます。歴史館に通った時に何度か行きました。
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ふと思い出して、平山優氏の『天正壬午の乱』を確認したところ、家康が6月14日付の書状で「若君様御座候間、供奉致し上洛せしめ、彼逆心の明智を討ち果たすべき覚悟にて今日十四日鳴海に至り馬を出し候」と述べていて、三法師を旗印とする考え方が広く存在したのではないかとのことでした。

信長没後の織田政権との関係についても興味深い話が書かれていて、清州会議に対する関わりは分からないものの、混乱の極みにあった甲信地方への侵攻準備を進める家康に対して秀吉から7月7日付の書状で「今度信長不慮のこと御座候について、信州・甲州・上州置かれ候者共罷り返り候、然らば両三ヶ国の儀、敵方へ御渡しなさらるるべきにあらず候条…」とあるとのこと、当時の家康は名目的には織田政権の一員として行動していたようです。

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ファーストデイなので観てきました『清州会議』
確かにビジュアルはなかなか見応えありましたが、戦国観は旧態依然という印象でしたね…絵本太閤記のイメージそのまんまで。
何より、織田政権はあんな呑気に構えていられる状況ではなくて、特に関東や甲信越ではえらい事になってますが、そういう空気が全く感じられず。
(その象徴として、ひたすら一人で走るだけという役回りの滝川一益を描いたのかもしれませんが…個人的にはその頃の森長可とか見せてくれた方が受けたかな)

監督は幼少の頃から戦国時代が好きだったとのことですが、自分がかつて親しんだ太閤記の世界をビ…[全文を見る]

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若気の至り


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