id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

http://www.katch.ne.jp/~anjomuse/exhibitions/kikaku/ikki/ikki.htm

  • この一揆に乗じて、家康に従っていた領主、城主たちも加担し、足かけ2年もの間、当地域は内戦状態におちいりました。争いは一揆方の敗北に終り、主要な寺院の僧侶や一揆方に組した領主や家康家臣が追放されます。僧侶をはじめ家康家臣が赦されて三河にもどるのは、約20年後の天正13年(1585)でした。
  • この辺、家康が一揆方に与した家臣に寛大な処置をとったという通説と違うので興味深いです。
    あの本多正信も以後長年に渡って流浪してますし(松永久秀の客将となったという話もありますね)、信仰を捨てる家臣には帰参を許したが、信仰を捨てない者は許されなかったという意味でしょうか?

    一向宗の話は『浅井長政と姉川合戦』にも出ていて、蓮如の時代から発展した湖北十ヶ寺と呼ばれる真宗寺院と浅井氏との関係は良好で、家臣の国人衆にも門徒が多く、浅井氏が荘園制を基盤とした中世的な体制による政権だったことも、信長と戦うに至った要因として挙げられてます。
    毛利氏においても安芸門徒と呼ばれる信仰の強い土地にあって真宗寺院を保護してましたし、各勢力の真宗への対応と、いわゆる信長包囲網や石山合戦における動向に注目するのも面白いだろうなぁと。