ドラマの役者さんはとても16歳には見えないけど、16歳なら元服済みで又兵衛でもおかしくないかな、という意味でした。
しかし官兵衛も又兵衛も、有名な逸話が多いのに意外と本当のところは分かっていないんですね。
「試験に出る官兵衛くん。」の播磨後藤氏の記事も楽しみに読ませていただいてます。
/ホリィ(新人)
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ドラマの役者さんはとても16歳には見えないけど、16歳なら元服済みで又兵衛でもおかしくないかな、という意味でした。
しかし官兵衛も又兵衛も、有名な逸話が多いのに意外と本当のところは分かっていないんですね。
「試験に出る官兵衛くん。」の播磨後藤氏の記事も楽しみに読ませていただいてます。
その歳で呼び名が又兵衛って…と書きましたが実は16歳だったそうで。
http://kurokanproject.blog.fc2.com/blog-entry-216.html
まあ16歳ならありかも…って、そうは見えないけど。
大河ドラマでは大坂の陣までは扱わないだろうし、長政がこのままいい子で育って、又兵衛の出奔はスルーしちゃう感じかな?
又兵衛の通説・伝説形成の経緯については、例の「播磨黒田氏研究会」のサイトに詳しく書いてました。
http://www.geocities.jp/kurodazensi/361.html
父が別所氏の家老「後藤将監」だったという通説は講談の世界で成立したらしいことや、貝原益軒『黒田家臣伝』は黒田…[全文を見る]
http://h.hatena.ne.jp/alf88/81808337510948631
水神様といえば、『KISSO』に海津市歴史民俗資料館の学芸員の方による「治水神・禹王崇拝の広がり」という記事がありました。
夏王朝の始祖で中国でも治水の神として祀られている禹王ですが、日本でも13世紀頃に鴨川河畔に建てられたと伝わる夏禹廟を最古として、儒学思想が浸透した近世以降、各地に禹王になぞらえた治水顕彰碑が建てられ、特に利根川水系、木曽三川流域、それに淀川水系で多く見られるそうです。
高須藩では、4代藩主の松平義敏が城下町を養老山地の麓に移す計画を立てたものの、財政難により6代義裕の時…[全文を見る]
軍師官兵衛
その歳で呼び名が又兵衛っておかしいだろwwとか思ったのって僕だけですかね
さっそく松寿丸と不仲フラグ!?と思いきや仲直りしてたので、脚本の意図がよく分かりませんでした。官兵衛と光さんの優しさ演出の一環?
(又兵衛は後に長政の元を出奔して、細川忠興、福島正則、前田利長、結城秀康といった錚々たる面々から仕官の誘いがあったものの、全て長政に妨害されたので、仕方なく京都で軍学を教えて食べていたという話があります)
ちなみに「基」を通字とする播磨後藤氏は鎌倉時代に播磨の守護に任ぜられたこともある名門の一族で、室町期には守護赤松氏の重臣の地位にあって、神東郡(今の神崎郡)を本拠地としていたようです。
通説では三木合戦で別所方に付き討死した後藤将監基国の次男が又兵衛基次とされてますが、ドラマの流れはどういう設定に基づいてるんでしょうか。
「あなないナスビさん」
http://localchara.jp/catalog/1978/
これかなぁ…

なんか、だいぶ雰囲気が変わってる気がするけども…

うーん
では、しょうゆ→弥生、ソース→縄文ということで…。
ちなみに僕の顔はだいたい弥生っぽいですが、眉毛がちょっと縄文入ってる感じです。(どうでもいいですね)
【教えてはてなハイク!っていう程でもない疑問】
芸能人に疎くて、昔から「しょうゆ顔」「ソース顔」のニュアンスが分からないんですが

この例で左がしょうゆ、右がソースという理解でいいんでしょうか
(まあ分からなくても特に困ってはいないんですが…)
製造元から消費者までの間でコストがかかるようになったせいで違法販売が増えて、その取り締まりに更にコストをかけて…って誰得?という素朴な疑問が浮かぶのですが、どうなんでしょうね。
ちなみに明治期に入ってようやく美濃焼の生産販売が自由化されて、木曽川水運は更に盛んになったものの、明治33年の国鉄中央線開通で一気に激減していったそうです。
阿波脇町の吉野川水運や石州江津の江の川水運でも似たような話がありましたが、水運→鉄道→自動車という流通の発展とともに衰退してしまう例は多いですね。
美濃焼のように現代でも形を変えて産業が残っているのは、まだ良い方かも知れません。
なるほど…確かに、当時の書状だからって書かれていることが全て事実とは限りませんものね。
そういう部分も含めて「大謀略戦」なんですね。いや、面白いです。
宇喜多直家については大門先生も割と手頃な値段の本を書かれてますし、読んでみようと思います。
三木合戦についてまとまった本は地元三木市の郷土史家、福本錦嶺氏の「別所氏と三木合戦」(多分初版は87年の別所公四百年祭の時に出されたもの)ぐらいしか読んでいないので、誤解していた部分が多いんだろうなぁと、メモを拝見して感じました。
(今ちょっと確認したら、その「別所氏と三木合戦」に別所方として吉田構主・明石修理亮と書かれてるんですが、これ明らかに間違いですね…。)
長島側に長良川河口堰管理所「アクアプラザながら」という施設があって、そこも軽く見学してきました。(伊勢湾台風の時の被害状況はそこの展示です)
国交省中部地方整備局木曽川下流河川事務所調査課発行の『木曽三川 歴史・文化の調査研究資料 KISSO』という冊子が置いてあったんですが、これがなかなか面白かったです。
多治見市の歴史が紹介されてたんですが、天正2年(1574)に信長から朱印状を受けた加藤景光が瀬戸から久尻村に来たそうで、その頃から各地の陶工が多治見村と周辺に移住して陶祖となったとか。
こないだNHK「歴史秘話ヒストリア」の古田織部でもやって…[全文を見る]
今日の「戦え!官兵衛くん。」
http://kurokanproject.blog.fc2.com/blog-entry-210.html
大門先生の「備前浦上氏」きました。
浦上宗景と宇喜多直家に限らず、大門先生は浦上氏とその支配下の領主間の関係を多くが被官ではなく従属的な同盟と捉えて説明されてます。
尼子氏の侵攻に際して浦上政宗をはじめ多くの旧赤松被官の領主が尼子の配下となったのに対して、宗景は毛利氏や三村氏の力を頼って対抗し、やがて毛利氏が尼子の侵攻を撃退して大内・陶氏をも併呑し抬頭するとともに、宗景は政宗を圧倒していき、最終的には和議を結んで毛利方からも離反してます。
村宗の…[全文を見る]
http://h.hatena.ne.jp/k-holy/299908118935575110
http://h.hatena.ne.jp/k-holy/316611179992306893
( ´-`)。o 0 (…進歩してない…)
id:alf88 さんからの返信が来たかと思ったらそんなことはなかった!!??
とても参考になる情報をいただきありがとうございます。
モクモクファームの「豚かば丼」ご飯少なめタレ多め脂多めのこってり味で高カロリーな感じですがうまかったです。


帰りに食べた、○ん○ん食堂の「トンテキ丼」はご飯多めタレ多めでやっぱり高カロリーな感じでしたが、豚肉少なめ…しかもタレの味がきつすぎて段々ウッてなってきました。

「豚かば丼」は売り切れ。イラストが可愛い
なばなの里は、お前らどんだけ富士山好きやねん、てくらい富士山イルミネーションに群がってました。熱気が尋常ではなかった。多分一気に押し寄せて一斉に帰って行った観光ツアーのせい。



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( ´-`)。o 0 (…
…)

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伊勢大橋


ここを学生さんが自転車で通ってました。風も強いしなかなか大変そうだ…。

長良川河口堰調節門扉、シェル構造2段式ローラーゲート、2ドラム2モータ×2ワイヤロープウインチ式、云々。
水の中にある扉は上下2段に分かれていて、それぞれ開閉して水量を調節できるみたいです。
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揖斐川と長良川の間の道路。これをずーっと北上した先に高須輪中があります。
高須藩は言わずと知れた容保公ら兄弟のご実家であります。海津市歴史民俗資料館には一度行きました。
宝暦治水の治水神社にもいつか行きたい。

会えなかった、セアカゴケグモ(会わなくていいです)

長良川河口堰にある、こうもん(閘門)。ロック式魚道も兼ねているとか。
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