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ホリィ(新人)のことを語る

長島側に長良川河口堰管理所「アクアプラザながら」という施設があって、そこも軽く見学してきました。(伊勢湾台風の時の被害状況はそこの展示です)
国交省中部地方整備局木曽川下流河川事務所調査課発行の『木曽三川 歴史・文化の調査研究資料 KISSO』という冊子が置いてあったんですが、これがなかなか面白かったです。

多治見市の歴史が紹介されてたんですが、天正2年(1574)に信長から朱印状を受けた加藤景光が瀬戸から久尻村に来たそうで、その頃から各地の陶工が多治見村と周辺に移住して陶祖となったとか。
こないだNHK「歴史秘話ヒストリア」の古田織部でもやってましたが、桃山時代に一世を風靡した美濃焼は江戸時代初期に衰退して、江戸末期の享和・文化年間に磁器が焼かれるようになってから再び盛んになったそうです。

生産地の大半は天領でしたが生産販売は尾張藩が統制して、製品は御蔵物として一旦藩に納められて指定の蔵元上人を通じて取引され、代金は藩内の米切手で支払われて、その換金には高額な手数料を取られたとか。
また、天保6年(1835)には多治見村に美濃焼物取締所が設けられて、新たに運上金も課されることになったため、仲買人が窯元から直接買い付けて密かに持ち出す抜け荷が横行したそうです。

尾張藩も焼物類には取締所印紙を必須とするなど荷物改めを強化していて、第一関門が船問屋、第二関門が尾張藩領北方(一宮市)と幕府領円成寺(笠松町)の番所、そして江戸・大坂への積み替え地である桑名湊が最後の押さえだったそうですが、抜け荷する方も揖斐川と牧田川の合流地域で荷揚げして中山道から米原に至る「九里半廻し」というルートを使って回避したとか。