古代からの景勝地だったという名次山あたりもぶらついてきました。
周辺は高級住宅街っぽくて高い壁で監視カメラ付いたような家が並んでて、カメラ持ってチャリでウロウロしてると落ち着けなくて困ります。なんか警備員っぽい人が体操しながらこっち見てたし。オイラ怪しいもんじゃないよ…



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ホリィ(新人)のことを語る
ホリィ(新人)のことを語る
http://h.hatena.ne.jp/dai6tenmaow/81791112211399933
こういうスタンスの歴史雑誌を読んでみたいけど、歴史だと「アタマから信じている読者」が多くなってしまうのが難しいところなのかなぁ、とか
そういや「歴史人」のブログで大門先生が小和田先生の記事の内容を否定するような記事を書いてて面白かったなぁ、と思ってサイト見てみたら面白い記事が。
長谷川ヨシテルの最弱の城 ~お願いだから攻めないで~ 第1回「明石城」
http://www.rekishijin.jp/rekishijinblog/kjsadkjsaklj7498/
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山里郭
一、山里郭は今の陸上競技場付近にあった
一、もとは樹林屋敷といわれ…[全文を見る]
ホリィ(新人)のことを語る
http://www.tachibana-museum.jp/blog/?p=2671
柳川でふと思い出して「立花家史料館」で検索してみたら、公式ブログが変なノリで噴いた
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[あらすじ]
高橋家の長男である主人公は、父の同僚である戸次家の養子となる。
立派な青年に成長し戦乱の世に身を投じた主人公はひょんなことから仮面ライダーソーモに変身してしまう。
二人の父を失いながらも、ソーモとして活躍を続ける主人公。
やがて権力者に認められ、大きな町を統治する立場となったが天下分け目のライダー合戦に負け、町を追われてしまう。
流浪の日々を送る主人公に、果たして明るい未来はくるのか。
回…[全文を見る]
ホリィ(新人)のことを語る
以前から疑問がひとつあって、赤松政村と尼子詮久の双方が足利義晴から偏諱を授かった件なんですが。
赤松政村はもとより晴元方で、晴政への改名は天文8年11月で堺亡命中?に播磨回復を願って幕府に働きかけたものとの説明に納得できますが、晴久の改名も天文10年10月ということなので、尼子氏が高国→氏綱方だったという説には合わないような?
赤松義祐と尼子義久については年齢的に天文末期頃から弘治年間のことだと思いますが、こちらも双方が足利義輝から授かったはずなので?
三好政権との関係の変化もちゃんと把握してないのでまだ判断できませんが…。
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シルエットというか想像図みたいな感じになってましたね。天狗って(笑)
三好康長って元長の弟なんですよね、70から80代くらいでしょうか。この段階での登場がどんな扱いになるのか、楽しみです。
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日曜はちょろっと西宮まで越水城跡を見に行ってました。


石碑は大社小学校の前に立ってますが、案内板によれば当時の広さは南北200m、東西100mとなかなかの規模だったようです。今も町名に「城山」が残ってます。
「越水」は「小清水」の当て字で、今も湧き水が出ている越水井戸があるそうです。
主な城主は細川高国方で活躍した瓦林正頼、晴元政権期に三好長慶、三好政権期に篠原長房など。
瓦林正頼が澄元方の大軍を迎えた永正16年末から17年2月にかけての攻城が有名ですが、長房も父・大和守長政の代から城番していたようで、天文2年9月にも瓦林衆と一向一揆が三好方篠原衆を討ち取ったという記録があります。

大社小学校の「大社」は廣田神社のことかな。ここからは結構離れてますが、旧学校は北東100mのところにあったそうで。
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また波がきていたらしい

Yahoo検索から76%、Googleから6%、「戦え!官兵衛くん。」から3%。
検索キーワードは変わらず「小寺政職」「播磨」「戦国時代」「勢力図」の複合に加えて「赤松氏」が単独で4%。ちょっと嬉しい。
ドラマに惣領家の名前が一切出てこなくても、ちゃんと興味を持つ人はいるってことかな。
アクセス先は「大河ドラマ『軍師官兵衛』以前の播磨の戦国時代あらすじ(ほぼ赤松氏の話)」が圧倒的で70%、次が「「三木合戦絵図」絵解き - 三木合戦と天正年間の播磨国の情勢」で10%。
ドラマは次回英賀合戦、その次あたりに上月合戦がくるんでしょうか?今週末の記事UP目指して頑張ろう…。
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佐和山で三成のイベント。桐野作人氏が来るそうな
http://www.hikoneshi.com/jp/information/articles/1002
>戦国武将「石田三成」の魅力を再発見し全国に発信するイベント「三成の戦」が再び開催されます!
>3月15日(土)10:00~15:30
>清凉寺(彦根市古沢町)
宮下英樹氏が描いた甲冑姿の三成がすっごい格好いいんですけど…。
『センゴク』の三成も、いずれはあんな感じになるんかな。今のところなりそうもないけど先が楽しみ。
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[想像で語る五人ばやし]
藤林長門守
上林竹庵
林羅山
あとなんか適当に…
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実は元の歌ちゃんと覚えてないんですが、自転車で走ってる最中に時々こういう変な歌が降りてくるのです
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首がもげて束になって流れてゆきます…
毒きのこが恥ずかしげに顔を出します…
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郡山城合戦の頃、足利義晴を擁する晴元政権の状況は、天文8年6月に三好長慶が河内十七箇所の代官職を巡って晴元と対立し、六角定頼らの調停で和睦して摂津半国守護代と越水城を与えられた後、天文10年8月に山城守護代と河内守護代を兼任して南山城・大和・河内に勢力圏を築いていた木沢長政が謀叛、翌年に討伐されます。
その後で細川氏綱が高国党に担がれて挙兵しますが、まだ政権を揺るがす程の勢力には至っていません。
これが尼子氏が再び播磨侵攻を開始する天文21年の時点では、すでに晴元政権が崩壊して将軍も近江に亡命、氏綱を擁する三好長慶が畿内の覇者になって…[全文を見る]
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軍師官兵衛
内容に関するツッコミはおいといて、今のうちに予言しておきます。
別所長治は家を残すために、あえて別所重棟を織田方に留めさせるという筋書きになるんじゃないでしょうか。
実際には播磨の諸勢力の中でも早くから織田方として力を尽くした重棟のことをスルーしておいて、織田方に留まる理由がないし。
何より、長治を頭の良い少年として描いた意味がなくなるでしょうから。
あとは村重…一族皆殺しにされて生き残る理由をどうするんだろ?
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軍記物には尼子経久の弟・久幸の討死をはじめ尼子側の惨敗が描かれていて、これによって急速に尼子が衰えて毛利が抬頭したかのように考えてしまいがちですが、人的被害よりもむしろ元就が記しているように、敗戦によって周辺の多くの国人達が大内方に付いたため、体制を構築し直す必要があったのだと思います。
毛利氏の方も当時まだ大内氏に従属する一国人に過ぎず、尼子軍の撤退後に尼子方の安芸守護・武田氏の佐東銀山城を落とし、大内義隆から武田氏旧領を与えられてようやく水軍の編成に取り組もうという段階で、大きく飛躍するのはいわゆる両川体制を整えて井上党の誅戮を果たす、天文19年頃です。
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今日、5年くらい前に古本で買った、森本繁『毛利元就99の謎』という~いかにも大河ドラマ便乗っぽいタイトルの割に結構しっかり書かれた~本を久しぶりに読み返してて、川岡先生の話がピーンと繋がった感触を得ました。
吉田郡山城の合戦で尼子軍が撤退した後、天文10年2月16日付で元就から細川晴元に送った戦勝報告の中で、尼子氏を破ったことで備中・備後・安芸・石見の国人は多くが大内方に付いたことと、大内義隆が近いうちに出雲へ侵攻するから、幕府側でも赤松氏と示し合わせて尼子討伐軍を起こすよう、助言していたというのです。
さらに晴元は3月21日に周防へと使者…[全文を見る]
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今月のフォトライフ無料分消費は2009年関ヶ原ウォーランド写真でした。フー



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特に東京の地下鉄ときたらもう、くんずほぐれつ、という感じがしますね
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大友・立花氏は20年ほど前に西津弘美氏の『炎の軍扇 立花道雪』を読んで後はWebで知ったくらいで、あまり詳しくはないんですが、好きな家老に由布雪下を挙げる程度には好きです。
立花家は関ヶ原で改易からの復活、家臣団は一部は加藤家や黒田家に仕えましたがそれでも死ぬまで道雪をリスペクトしてて、熱い人が多いのです。
宗茂はずっと大河ドラマ化を希望してる人物の一人なんですが、九州が続くのはないでしょうねぇ…。
/ホリィ(新人)


