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ホリィ(新人)のことを語る

今日、5年くらい前に古本で買った、森本繁『毛利元就99の謎』という~いかにも大河ドラマ便乗っぽいタイトルの割に結構しっかり書かれた~本を久しぶりに読み返してて、川岡先生の話がピーンと繋がった感触を得ました。
吉田郡山城の合戦で尼子軍が撤退した後、天文10年2月16日付で元就から細川晴元に送った戦勝報告の中で、尼子氏を破ったことで備中・備後・安芸・石見の国人は多くが大内方に付いたことと、大内義隆が近いうちに出雲へ侵攻するから、幕府側でも赤松氏と示し合わせて尼子討伐軍を起こすよう、助言していたというのです。
さらに晴元は3月21日に周防へと使者を遣わして郡山合戦で援軍の大将を務めた陶隆房に戦況を確認し、4月28日付で元就の戦功を賞した書状と太刀を贈り、六角定頼や赤松晴政からも書状や太刀が贈られているということです。

赤松晴政の播磨帰国は従来説では天文10年8月とのことでしたが、依藤保氏はすでに同年正月には帰国していたと説いています。だとすると、元就は晴政の帰国を知らなかったということになるでしょうか。