×原書だと、小説の設定からいっても英語の特徴からいってももっと性差のない言葉を使ってるはずのキャラクターが、やっぱり女の言葉になってしまってる、という指摘。
○小説の設定からいっても英語の特徴からいっても、原書だともっと性差のない言葉を使ってるはずのキャラクターが、邦訳ではやっぱり女の言葉になってしまってる、という指摘。
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まちがえたと思って五段ほどいたら、まちがえてなかったorz
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誰だビョルンセンてw
ビョルン・アンドレセンです!
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わかるひとだけわかってくださいだけど、山岸凉子みたい、と公開当時思った。見直してもやっぱりそう思う。
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かわいそうで涙が出るシーン
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これ、自宅介護してる人が見たらすごいきつい映画だよなあ。
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クリストファー・エクルストンは、アザーズと日陰者ジュードをほぼ同時期に見たんで、ダメ男の印象があって(苦笑)
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アンが誰かに似てると思ったら、ちょっとビョルンセンに似てるんかしら
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フツーによくできてるゴーストストーリーなので、ホラーと言われるとちょっと違和感。
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(そういやわたしも父の顔写真撮ったなあ……)
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ニコール、こういうはりつめたお嬢様とか奥様がほんとうに似合う。
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来年のイタ語教室、スペース確保問題が浮上中。先々週あたりから。
思いの外、わたしのストレス源になっとる。
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ことばと「らしさ」、ということを考えてて、そういや中村桃子の本を読みたいと考えてたのそのままになってたなあ、と。
近いうちに転送リクエストかけるかな。
例えば、ビジョルドすごくおもしろいのだが、原書だと、小説の設定からいっても英語の特徴からいってももっと性差のない言葉を使ってるはずのキャラクターが、やっぱり女の言葉になってしまってる、という指摘。
階層によって使うだろうと想定される言葉があって、日本の話し言葉ことにフィクション内に書き起こされてるそれは現実のそれよりも差を強調している。
葉桜の違和感のひとつにあるキャラクターのしゃべり方があったのだけど、その違和感は真実がわかったら消えた。フィクションのお約束にはあってないかもしれないが、現実にはこのしゃべり方が正しい。
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『アザーズ』けっこう好きなんで見るかしら。
怖いより哀しかった気がする。
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要するに、全然力にならんねん
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解決手段に、それが自分であれ他人であれ「死」しか浮かばないのが問題、ということ。
あと、「自分がそうなったら死んだ方がまし、死にたい」からその人もそうだろう、という考えはすごく危うい。その人はあなたじゃない。あなた本人だって実際にそうなった時に今と同じように考えるかなんてわからない。
こういう話の時にナチスが浮かぶ。「役立たずなのは心苦しいだろうから殺してあげる」という考えで障害者を殺した。それに対して「(親切という意味合いで)優しい」と言った人はおおぜいいた。いまだに言う人もいる(ブクマコメで言われた)。
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手にかけられた側が「(楽になりたいから)そうされたい」と考えてたに違いない、と考えるのは、そう考えたほうが楽だからだ、見てるだけのわたしが。
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もうだいぶ前、わたしのフェミ系の友人たちが『ベティ・ブルー』を嫌ってたのを思い出した。あの嫌悪がよくわかるわ今。それと、『女優フランシス』に対する自分の感情とか。
フランシスのラストはものすごい悲惨なのだけど、でも一方で、ほっとしてるように「見えた、わたしには」。それは「わたし」が楽になりたいから、だけだ。たぶん。フランシスは楽になりたくてではなくて、戦うため、不服従を示すために受け入れてる。あそこに至る道のり、母親との延々と続く戦いや放り込まれた地獄のような場所から「逃げる」手段として、自分を放棄したと考えたいのは、わたしなだけで、フランシス本人ではない。フランシスがそう考えたと考えるほうが、わたしには楽なだけだ。
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「人の手を煩わさないと生きてけない状態なら死んだ方がいい」というのを誰でも内面化してると思うな、と言えばいいのか。

