今日の発達障害の話で、専門家の人が「たまたま今日紹介されてた人たちは、自分の障害をスムーズに受け止められる人たちだったけど、そうでない人も多い、日本の男性は自分の問題に直面できない人が多いから」つってたのが印象的だったな。
日本だけかと聞いたら、外国ではカウンセリングとか多くてそこで直面させるから、と。
あと類君の、小学校時代の学校の対応の話がかなり酷くて、ある意味予想どおりだった。アメリカで受けた診断は日本の障害にも知らされていたんだろうか。以前知ってた小学校教師の話からは、現場教師が持ってる発達障害についての知識はごく一部の限られたもの、という印象だったけど。自閉症スペクトラム的なそれで問題があるかも、という生徒がいたときに、この人は果たして気づけるのかな、そして正しい方向で手助けを求めたりまた手助けをしたりができるんかな、と心配になった、当時。
×「あなたたちは弱者を主張する明確なラベル/レッテル/名前/特徴があって羨ましい、そういうものがないからわたしたちは強者の側に自動的に組み込まれる」
○ 「あなたたちは弱者を主張する明確なラベル/レッテル/名前/特徴があって羨ましい、そういうものがないからわたしは強者の側に自動的に組み込まれる」
念のため書いておくと、この前半の主張、ほとんどこのままみたいなのを女性が書いてるのも、わたしは見てる。
まあまた雑なこと言ってるのかもなあと我ながら思う。
日本の現段階はようやっと、「弱者というものが実際にいて、その人たちが権利を主張することは認められているからしょうがない」くらいのとこにたどり着いた、ていどじゃないの、と思ってる。マジで。でも主張の訓練は一部でしかされてないのでまだ下手だし、「言わせとけ」て扱いが大部分じゃないのかな。
どう思ってるかしらんが、少なくとも、「弱者というものが実際にいて、その人たちが権利を主張することは認められている」という考え方がここまで広まったから、「自分も弱者」と認識したり主張できるわけで、そこにだけは感謝すべきなんでないの、と思ってる。
「あなたたちは弱者を主張する明確なラベル/レッテル/名前/特徴があって羨ましい、そういうものがないからわたしたちは強者の側に自動的に組み込まれる」という主張、に見える。
しかしそれでもいわばカーストの中にはいるわけで、それまでカースト外にされてた層に羨ましいというのはやっぱ違うというか。そんでカースト揺らそうよ壊そうよと言うとそれも嫌がる、となるとやっぱりどんなに僅かでもカーストにあなたも旨味があったんでしょ、と思われてもしょうがなくないかなあ。
数年前か、「弱者男性」を自認してるであろう人に理不尽だなあという扱いを受けた。その時は、(前後のやりとりを無視して)その発言だけを取り上げられたら確かにわたしは雑だったわなと思ったし、何よりその不満を直接わたしに言いたいわけでもないらしい、と判断したのでスルーした。
この時のことを思いだしかつ今当時スルーしたものを見返すに、
彼らが欲しがってるのは自認できかつ確実に弱者として認識してもらえるレッテルとか名前なのだろう。
すごい今日ダメな感じで動けなくなって寝てたら、地震。
うーんまだ頭重い……
要するに「愛される存在」じゃないとサポートされないというのはおかしいっつー話。特に発達障害者の場合は、まさに感情面で障害だから、ここがひっかかってきやすいはず。
ただこの方は家族ケアもしてるので、その関連で愛情の話はせざるをえない。特に今回は当事者ではなくその家族が話題の中心だし。
当事者でなくまた家族でない人がどう「サポート」するか、という時には、愛情は関係ない。
支えるっつー言葉も気持ち悪いな、われながら。
障害自体の障壁度もそれにより起こる問題の度合いも周囲の愛の有無・愛の大小で変わるべきではない、といえばいいか。
うまく言えないな今。
認知症に対する漠然とした恐怖一辺倒、と同じものを、発達障害に対しても今回感じたなあ。
なんというか、「向こうは言葉が通じない相手だから話しても無駄だし下手したら速攻暴れる」というのを前提にしてる、みたいな。
わたしこの番組、何が苦手って、レギュラーの人たちが苦手なのよ。というかむしろ積極的に嫌いなタイプなのよ。こういう設定なの、それとも真からこういう人なの、どっちよ。
愛がなんちゃらとかはドン引きだけど、その他の点については、この専門家さんはとてもいいと思う。指摘すべきことを指摘し、説明すべきことを説明している。
愛がうんちゃらは、「分かりやすさ」の方便だろうなあ。だって障害は、愛がなくても支えないといけないものだから。
ただこれ男性に多いとはされてるけど女性でもいるし、男女役割等々に対する偏見(に基づく行動)で問題が大きくなってるところもあるよなあ、と、これ見てると改めて思う。
視聴者層がそうだからしょうがないといやしょうがないだろうけど。
あー類君がそうなのは、なんかわかる気がする。
そして彼がアメリカでならどうかという話をしてくれるのは、本当にありがたいことだ。
お二人ともほんとになんでもよく知ってるし勉強熱心だししかも地元育ちで年長者なので、学芸員も彼らを立てないわけにはいかなかった。
こういう人たちや、以前三瓶明雄さんが亡くなった時に書いた農家の方みたいな人、みんな共通して、いつまでも勉強熱心で誰とでも情報を互いに交換して、若い人をバカにせず自分を年寄りと卑下もせず、対等に接していた。
わたしは職業研究者ってあまり信用してないところがあるのだけど、それはここでのバイト経験によるものが大きい。たまたまわたしのあたりが悪かっただけかもしれんけどね。
某私鉄の元運転士だった人は、わたしがバイトしてた博物館で専門員として古文書の整理と簡単な修復をやってらした。
物識りで興味の範囲が広くて、若い人は使うものではなく育てるものだ、と理解してる方だった。この方と、やはり大会社に勤めて定年退職後にこの資料館で民俗系の専門員をやってらした方、このお二人がいなければ、わたしはいつまでも、博物館の他の研究職員の人たちを「先生」と呼んで、使われるがままになってたろうと思う。二人ともが、実務実習後に臨時職員として雇われたわたしの勤務初日に、「あなたは今日から一緒に働くのだから、先生と呼んではいけない。わたしたちは同僚だよ」と注意してくれたのだった。
マニア冥利に尽きるというより、両思いの叶う瞬間が見れた、という感じ。
そして次回も天候がダメらしい。
「ブラタモリというか、タモリさんがいらしたので」
言ってしまいました(笑)