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ホリィ(新人)のことを語る

【速報】『武田信虎のすべて』によると、永正5年に信虎(信直)方に討たれたおじさん・油川信恵の子は弥太郎、珍宝丸【知らんがな】

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やってまうわな

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同じく2009年の夏

熊鷹社近くのお塚にて、お参りしている方を初めて見ました。ここには不動さんがあって、柏手じゃなくて真言唱えてました。

熊鷹社は結構各地に勧請されてるようですが、由来はよく分かりません。元々は真言宗の神様のようですが…。

この時は鳥居のある参道からちょっと離れて、末廣滝へ向かってみました。
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なんで久しぶりに伏見稲荷にお参りしたのかというと、子供の頃によく祖父に連れられて行った思い出の場所を巡ろうと考えたのでした。
幼少時に稲荷山を上ったのかどうか思い出せなかったんですが、その面白さにすっかりはまってしまい、年1~2回くらいのペースで通うことになったわけです。

奥社から熊鷹社へと抜ける鳥居。

この辺からすでに、ちょっと道を外れたら神道系っぽい新宗教?の本部とかあって不思議。
麓にも大日本大道教とかあるんですが、これ山の中なんですよね。どういう経緯なのか…意外と神仏習合の頃から続いてたり?

本宮祭に行きだしたのは2009年から…[全文を見る]

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伏見稲荷大社
2008年に二十数年ぶりに訪れた時の写真。

千本鳥居も当時はまだ平常時はこんな感じでした。今は外国人観光客が激増して、他に人が通らない瞬間がないくらい。

熊鷹社近くのヤエコ姫大明神。

こっちが今の。金色になってる…。
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軍師官兵衛
光秀は最後、竹藪の中で「金髪豚野郎!」とか罵られながら落ち武者狩りに遭って死ぬらしいよ。

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この板垣信方も、結構怪しい人物なんですよね。何がって『軍鑑』での描かれ方なんですが。
和歌に興じる晴信を諌めたエピソードなどあからさまに「忠臣」と強調されてますが、当時の筆頭宿老で信虎追放を主導したのは確かなようで、晴信の諏訪攻め後は諏訪郡代を務めたものの、やがて増長が目立つようになったとかで、上田原の戦いで突出して油断したところに村上義清の逆襲を受けて戦死したことになってます。
で、子の信憲は晴信の不興を買って処断されてるんですね。
流れを見ると、大きくなりすぎた板垣氏の権力を削ぎたかったんじゃないのと思うのです。

ちなみに信方…[全文を見る]

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でも信虎が追放されたのって、いかにも唐突に打ち切り-第一部完- みたいな感じがするんですよねー。
今川、諏訪、村上と同盟結んでこれからって時に…。

丸島和洋氏は、板垣信方主導による今川義元との共謀説を有力視しているようで、河東一乱に介入した信虎が北条氏の和睦を受け入れたことが義元の不信を招いたとしており、これはなかなか説得力を感じます。

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のろのろと1ヶ月使って書きました。アイキャッチ画像間違えたので手動更新通知です。
記事タイトルはいいの思いつかなかったのでヤケクソ気味に…。

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軍師官兵衛
信長が「味が薄い」「家康の好みに合わせろ」とか言ってケチつけてたけど、それって何にでも味噌をかけるっていうやつやろか、って思いました。そんだけ。
あ、名古屋人disってるわけじゃないです。みそかつ好きですし。一時「つけてみそかけてみそ」も冷蔵庫に入れてました。

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今『武田信虎のすべて』を流し読んでますが、「武田信虎追放の背景」という題で平山優氏が書いてました。
飯富虎昌らの謀叛に象徴される家臣との対立が積もっていたことと、『軍鑑』が伝えるような父子対立を背景に、天文10年の飢饉で民衆の不満が高まったことを好機として、当主交代に及んだとのこと。
また、交代後に徳政を実施したことで民衆の支持を得た結果、当時の記録にも「人民悉含快楽咲」と評されることになったのではと推察されてます。

個人的には飢饉への対応はともかく、弟の信繁に家督を継がせようとした話をはじめとする父子の確執については一次史料には一切見えないので、『軍鑑』の信玄贔屓じゃないかと思います。
むしろ、宿老達に担がれた晴信が、やがて彼等譜代の老臣に代わって、自ら取り立てた近臣達を重用していったことを考えると、実は信玄も勝頼と同様に、父からの権力の継承に苦慮していたのかもしれません。

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やってる側は「合法」とか「遵法」って呼んで、取り締まる側は「脱法」と呼ぶ構図らしい。
なんで「ハーブ」とか呼ばれてるのか知らないけど、ハーブ業界(?)への風評被害が気の毒です。
でも「違法」にはできない理由があるんだろうなぁ。薬なんて使い方次第で毒にもなる物ばかりな気がするし。

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脱法ドラッグに代わる新名称を考える
こないだ八尾で「合法ハーブ」と貼り紙してる怪しげな店を見かけて、そういう言葉があると知ったんですが、その意味の分からなさが何だか可笑しかったです。
ミントとかラベンダーとか、そういうの売ってるんじゃないよな…?

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アクセス数はおいといて…。

_人人人人人人人_
> 軍師久兵衛 <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄

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天文10年(1541)6月に信虎が追放された理由は、当時の記録には信虎の「悪行」が原因で民衆はこれを恨み、追放を歓迎したとも書かれていますが、具体的なことは分かりません。

重臣層の不満としては関東出兵の失敗が有力なようで、諏訪氏、村上氏と組んでの小県侵攻(海野平の戦い)の成果については、そもそも合戦が追放の前月の5月25日のことで、6月14日には信虎が甲府を出て駿府へ向かったとあり(『高白斎記』による)、追放の計画は出陣中に密かに進められていたようです。

天文9年から10年にかけて甲斐では日照りと洪水による大規模な飢饉に見舞われていたことが『妙…[全文を見る]

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これとこれへの反応への感想です。
http://logmi.jp/16387
>>
この世の中を! ウグッブーン!! ゴノ、ゴノ世のブッヒィフエエエーーーーンン!! ヒィェーーッフウンン!! ウゥ……ウゥ……。ア゛ーーーーーア゛ッア゛ーー!!!! ゴノ! 世の! 中ガッハッハアン!! ア゛ーー世の中を! ゥ変エダイ!
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こういうのだけ文字で読んだら確かにあれですけどね…。

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なんか、会見開いて号泣した議員の様子が話題みたいですね。
素なのか演技なのかも知りませんし、話の中身も置いておくとして。
人が大勢の前で激昂してしまった様をおもしろコンテンツみたいに寄ってたかって消費するのも、さもしいことだなぁと感じてしまいます。
人前で話すのが極度に苦手な自分が、言い訳できない状況に追い込まれて集団で責められてしまったら、冷静でいられる自信はないというのもあります。
思わず笑ってしまうっていう本音もまあ、分かりますけど。

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( ´-`)。o 0(…あれ、実験再開したん…?)

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柴辻俊六『武田信玄合戦録』一巡目読了。結局ひと通り読みました。気になったところをメモ。

信虎の対北条戦略の一環で天文2年(1533)に太郎(後の信玄)が扇谷上杉朝興の娘と結婚、1年後に夫人は懐胎するも死去。(『勝山記』による)
太郎は元服前の13歳ですが、相手は何歳だったのか…。

太郎は天文5年(1536)正月に16歳で元服、将軍義晴からの偏諱により晴信と名乗るとともに、従五位下を拝領。
『軍艦』で3月に駿河守護・今川義元の斡旋で、勅使として三条公頼が下向し信濃守を賜ったとしているのは誤り。

晴信は天文5年(1536)月不明、三条公頼の次女を正室に迎える。
『軍艦』はこれを今川義元の斡旋とし、勅命によって甲斐へ下向した三条公頼の娘を7月に輿入れさせたとあるが、まだ家督を継いだばかりで信虎ともまだ同盟関係にないため怪しい。
ちなみに三条夫人の姉は管領・細川晴元の正室、妹は後に顕如上人の正室となった如春尼。