祥雲先生のコンクリ像だけじゃなくて、こんな謎展示品もあるし面白いですよウォーランド。

今では公式に「珍スポット」として売っているみたいですが、祥雲先生作品についてのコメントが良かった。
http://www.rest-sekigahara.co.jp/war_land/asano.html
その作品の多くはあまり有名ではない寺や歴史の浅い城、個人の霊場などに設置されています。決して由緒ある寺院や駅前に似合うものでも なく、旅館の庭に飾る類のものではありません。しかし、逆に芸術という付加価値をつけられ、保存のため見ることもできない仏像より何倍も 身近で親しい存在であるということで…[全文を見る]
これデスクトップで重宝してます。ぐちゃぐちゃでも安心(?)
間に合わなかった(笑)

子供の頃これ好きだったなぁ…
ウォーランドで個人的に一番うけた展示

よっぽど裏切り者が許せないらしい

さすがに「吉川広家 毛利家中より冷眼視される」はちょっとこじつけが過ぎるんじゃないの…日和見というなら毛利家自体がそうだったし。
というか、前日には東軍参加を確約していたそうで、井伊直政・本多忠勝からの起請文、福島正則・黒田長政からの起請文が毛利家に提出されてます。
(恵瓊と毛利秀元は知らぬ間に梯子を外された状況だったらしい)
週末は忙しくなりそうなので、今のうちにfotolifeの今月の無料分の残りを消費しておきました

文明17年末頃には上は60歳、下は15,6歳が集会して両畠山勢を追い出したと伺っております。
このシリーズ記事じっくり読んでみたら面白いです。本でまとめて読みたいくらい。
堺の話で、大和川の付替えのせいで大阪と堺が分断された上に、土砂が溜まって港湾機能を失い衰退したとか、大正時代は酒造が盛んで西宮からの水の輸入量が多かったとか。
南宗寺の家康の墓についても書かれています。
この寺の開山堂の床下に無名の一墓石が、蜘蛛の巣に埋もれ、湿ッぽい姿で、薄暗い処にひそやかに立って居る。寺僧の歴代の口碑ではこれを徳川家康の墓だというて居る。元和元年大阪夏の役に、真田幸村が平野地蔵堂の焼打ちをやった時、家康は幸村の謀略に中てられて重傷…[全文を見る]
神戸大学 電子図書館システムのこんな記事が引っかかりました
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00482047&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1
大阪毎日新聞 1916.2.2-1916.4.13(大正5)
大阪の東南(十四)
木村重成の戦死した若江村には、若江城址があって現に小学校敷地となって居る。その敷地の東南隅に地下から掘出した大きな礎石を建てて祈念としてある。この若江城址は今より五百年前に於て、足利幕府の管領細川氏の執事三好義長(三好長慶の子)が幕府の執権と称して此処に居城し、其臣松永久秀に弑せらるるまで、此処で天下の成敗を司…[全文を見る]
ホーロー看板部はなかったのでこちらで。結構古そうな感じ
