3月17日
6
ただし、これからの彼の人生を考えると、そうは言えないなあとも、薄らぼんやり思うだけの余裕があった。なにしろ、借金がある。自分が作ったわけでもないのにそれを背負っちゃおうというのだから、これは世に言う純愛だろう。
私は冷酷な人間ではないつもりだ。それに、今までの経験では、泣き叫んでも一度切れた縁が結びなおされることがないっていうことくらいは知っている。
公平を期して白状すれば、先月末、彼が会いたいというときに私がデートを蹴ったことも何回か、あった。タイミングが悪かったとしか言いようがない。話があるとでも言わ…[全文を見る]
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3月17日
5
ここまで無邪気を装って微笑まれると、今さら否定するのもバカらしくなった。男のひとの鎖骨、けっこう好きだったりする。ふだんスーツで隠れてる部分だから反射的に目がいってしまう。
「それ、どこの?」
うなずくかわりに、それでもさすがに癪に障ったのだという呆れ顔で尋ねると、さあ、と首をかしげられた。それから脱ごうとするので、あわてた。
「覚えてないならそこまでしなくていいから」
「そう? そういうの無頓着なんだよね。全部、友達任せだよ。これ買えっていわれたものを買って、あれと合わせろといわれたとおりに着る」
記憶力は…[全文を見る]
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3月17日
4
今さらご機嫌をとられたような気がして振り返り、疑わしいと目をむけると、彼はまっすぐに絵だけに集中していた。
「ゴヤは好きじゃないんだよ。でも、ビアズリーと抱き合わせで売られてきて」
大好きな画家の名前に声をあげると、やっぱり姫香ちゃんも好きだと思った、と返された。十代のころは恥ずかしながら不健康で妖艶な絵が大変好みだったのだ。
「それと並べたかったんだけど、そっちは姉にとられた」
こんなにショックを受けたくせに、並べて欲しいとすぐに思った。あの大胆な画面構成の横にあったらさぞかし見劣りするだろう。でも、見て…[全文を見る]
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3月17日
3
「酷くないよ」
三枚並んだ白黒の絵を見て素っ頓狂な声をあげた私を見下ろして、彼は素知らぬ顔で微笑み、ピクチャーレールにかかっている額のしたの部分を指先で押して、ほんの一ミリ程度のズレをなおした。
「だって、これ、本物のゴヤ、だよね?」
「もちろん。鑑定書あるよ」
ひどい、と言いたくなるのは自分の絵がいかに粗雑なのか、どうしようもないのかわかったからだった。
先週、ミズキさんのお店のHPやポップ、フリーペーパーのために絵を渡していた。もっていったのは十五枚で、女性ファッション誌風のイラストだ。それらは最初から…[全文を見る]
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3月17日
2
「なんでそうなるわけ?」
「銀座まですぐだもん」
「だもん、ってそんな」
男のくせにやたら可愛い口調に、反論しようとして挫ける。彼のごく整った容貌はこういうとき、私に対して全面的に有利に働くのだ。
「真面目な話し、福利厚生だと思ってどう? 前も言ったけど、水道光熱費込み三万円でいいから」
「そんな、だって、福利厚生って」
「築地だから歩いて職場に通える。お風呂は優先的に姫香ちゃんが使うようにするよ。どうせ僕と浅倉はちかくのジムですましてきちゃうしね。社宅か学生寮みたいなものだと思って」
「ミズキさん?」
絶句す…[全文を見る]
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3月17日
1
「婚約、破棄された……」
何かあったと尋ねられて、私は素直にそう返した。用意してきた言葉はいくつもある。けれど、ここはいちばん正確なものを吐き出すべきと覚悟を決めた。いつも超然としたひとがうろたえる様を見てみたいという欲求もあった。それなのに。
「姫香ちゃん、セレクトショップで働いてみない?」
ミズキさんはほとんど間をあけることなく、ましてや寸毫も動じることなく訊いてきた。同情されるか励まされるかと期待していたところを見事に裏切られ、眉をひそめて相手を見た。
桂瑞樹(かつらみずき)という、意味かぶってんじゃ…[全文を見る]
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序言
――あるいは、削除されるかもしれない書き出し
浅倉くんの第一印象は、こわいから、なるべく近づかない、近づけないようにしよう、だった。
出会ったのは学園祭実行委員の初顔合わせのときのこと。私は当時、大学の学生会の役員で、施設管理局長という役についていた。彼は新入生で学年では二つ、年齢ではいっこ違い。一年留学組のせいか物慣れていて、それなのに触れると肌が削れそうな粗さがあった。
普段はへらへらしていたけれど、それは、紙やすりに無理やりコーティング材をかぶせて修正しときましたから安心ですと言われているようなもので、鋭利で…[全文を見る]
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宣誓
ENGAGEMENT
「婚約、破棄された……」
たぶん、あの瞬間に何かが始まり、動き出した。
結婚の約束(エンゲージ)を反故にされて、私はほんとうに「自由」になった。あのときは、そう思っていた。それはでも、思い違いで、また新たな鎖に繋がれたのかもしれないけれど。
とにかくも、私は語らなければいけない。書き記さないとならない。
私と浅倉くんとミズキさんのことを。
天使が来る直前の、数日間を。
なによりも、私自身が生き延びるために。
ところで、アンガージュマン(engagement)なんてのは、サルトルが口にしないと意味がない言葉と…[全文を見る]
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~ごあいさつ~
こんばんは。id:florentineこと磯崎愛です。
今夜からこちらのキーワードでチョー長編小説(今現在512,384文字!)を連載していこうと思ってます。なるべく定期的に更新したいと考えておりますが、できなかったらごめんなさいです。
先日まで、下記キーワードで連載していたはなしの続きになります。
そちらを読まなくてもわかるように書いてあります。が、読んでいただいたほうがよりお楽しみいただけるかと存じます。
夢詩壷
http://h.hatena.ne.jp/keyword/%E5%A4%A2%E8%A9%A9%E5%A3%B7
ちなみに、
【あらすじ】
・・・・・・・・・・・・・・・…[全文を見る]
/遍愛日記