ナイスちょんまげを紹介しよう
もうあった
お話しするにはログインしてください。
ホリィ(新人)のことを語る
ホリィ(新人)のことを語る
講演聞いて、展示見て、ちょろっと姫路城を散策して、大河ドラマ館に到着。

今回使った「ひめじの官兵衛1dayパス」、ここの入場券が付いてるのが売りだったんですが…

官兵衛くんの信楽焼を見て癒やされておきました

福岡に独り占めはさせない!!
…[全文を見る]
ホリィ(新人)のことを語る
もちろん講演だけじゃなくて、展示も見てきました。
(中は撮影禁止なので詳しい感想は後ほど図録でも眺めながら…)


図録は2000円とまずまずの値段ですが、充実した内容を考えるとむしろ安いくらいです。
展示にもあった多数の直筆書状を写真で掲載、釈文に解説も付いて素晴らしい。超おすすめ

自分用おみやげに買ったマグネット。simeon josuiって書いてあります。分かります?
ホリィ(新人)のことを語る
講演で説明されていた、山里曲輪にある秀吉時代の野面積みの石垣。


上下二段に積むことで高さを補っているそうです。
木の伐採には賛否両論あるそうですが、今回は石垣へのダメージを軽減するためにやったとのこと。

姫山にはかつて称明寺という寺院が建っていて、築城の際に昔の墓石などが石垣に転用されたとか。
こちらの五輪塔は、修築工事の際に出てきた仏石を集めて供養したものだそうです。
…[全文を見る]
ホリィ(新人)のことを語る
軍師官兵衛
前回分の録画と続けて見ましたが、色々とツッコミどころはあるにせよ、結構面白くなってきてます。
播磨の勢力関係を極めて単純化した中、別所賀相&櫛橋左京進が煽動してこの有り様、みたいな筋書きはなかなか燃える展開ですね。
特に兵法の長講釈で秀吉の不興を買ったという伝承は以前からあるものですが、それを意図的にやって秀吉を怒らせたというのが面白かったです。
その分、別所長治がただ引きずられただけという、悲しい役回りになってしまいましたが…最後の最後でいいところを見せて自刃、かな。
別所賀相は切腹を拒んで暴れるという話があるんですが、その辺をどうするのかがちょっと楽しみです。
ホリィ(新人)のことを語る
この後、県立歴史博物館にて、城郭史を専門とされる学芸課長さんの講演を拝聴

官兵衛の妹が嫁いでいるという一柳市助(直末)、秀吉の姫路城の縄張りにけちをつけて改築したらしくて、それが「市助曲輪」と呼ばれたという逸話が興味深かったです。今はその場所は明らかでないそうですが。
あと、黒田長政の正室は蜂須賀正勝の娘なんですが、当初は子が生まれなかったようで、一柳直末の息子を養子にとっており、これに松寿丸と名乗らせています。
つまり黒田家の後継者だったわけで、官兵衛と一柳直末との関係はかなり重要だったのでは、とのこと。(直末は子が生まれて間…[全文を見る]
ホリィ(新人)のことを語る

入口右側の赤い柱

これです

黒田書店の主人も「今年は俺の年だ」と勇んだとか…?
…[全文を見る]
ホリィ(新人)のことを語る
手柄駅で電車を待つには微妙な時間&距離だったので、そのまま徒歩で姫路まで。
14時から県立歴史博物館で講演だったんですが、すでに12時過ぎてました。やばい。

手柄山城天守閣
* ゚・*:.。.:*・゜+ d(*´∀`)b うそです +.:*・゜゚・*:. *

姫路到着、御幸通商店街にはこんな派手なお店ができてました。
中には官兵衛にちなんだ商品が色々並んでました。赤合子形兜風の夫婦茶碗とかいい感じでした。(予算不足で断念しましたが…)

オリジナルっぽい官兵衛&二十四騎のキャラクター。
…[全文を見る]
ホリィ(新人)のことを語る
亀山本徳寺の次はそのまま歩いて栗山町へ。

栗山公園にて。この2人見覚えがありますよ…なぜ姫路にも?

手柄山南丘の麓の村を栗山村といい、後に黒田家筆頭家老となった栗山善助=四郎右衛門=備後守利安は栗山村の生まれだと。
飾磨街道に栗山村の町場ができて江戸時代に栗山村と分かれ、大正時代には栗山村が手柄と称した…ということは、今の栗山町で生まれたというわけではない?
まあ、それでも栗山には違いないということで…?

「がんばれ!」
…[全文を見る]
ホリィ(新人)のことを語る
確かに、すでに顕如は本願寺の大坂退去の誓紙を提出していた時期のようですね。
であれば、やはり主戦派と和平派の対立が各地に波及していたと考えるべきでしょうね。
秀吉の英賀攻略当時、英賀御堂本徳寺の住職を代行していたのが顕如妹の顕妙尼というのも示唆的です。
亀山本徳寺の資料でもはっきりと書いてませんが、秀吉の寝返り工作に言及してますし、開城後の秀吉からの寺領寄進や亀山への移転についても一連の取引の結果と伺える内容に感じました。
(その後東西分裂で東派となった経緯はよく分かりませんが…)
英賀の開城と城下町移転が大坂のモデルケースになったといった話も興味深いですね。
信長の長島への対処との違いについても、色々と考えるべき点がありそうです。
ホリィ(新人)のことを語る
英賀の話になったので、先に英賀いっときます。

姫路を出たのがもう18時過ぎだったので、あまり回れなかったんですが…


秀吉による落城後、繁栄を誇った英賀の寺内町はすっかり衰微してしまったため、町並みも川の流れも当時の面影は全くないようでした。(っていうか、そもそも暗くて見えない…)
…[全文を見る]
ホリィ(新人)のことを語る
亀山本徳寺の方でも、天正8年4月の秀吉による英賀攻めでは1ヶ月足らずで攻略されたと認めています。
ただ、この時点ではもう石山十年戦争の終盤であり、すでに別所氏への支援や小寺方との戦闘で消耗していたこと、英賀という土地柄か門徒に交易業者が多かったことを早期敗北の原因としているようです。
また、町人と農民は姫路城下町に移し、残った門徒の多くは龍野に移されたとありますが、三木氏は元々いわゆる海の民の棟梁だったともありますし、町人や農民門徒とはまた性格が違うんでしょうね。
ホリィ(新人)のことを語る
こちらは英賀御堂本徳寺の鬼瓦で、永禄9年に三木宗大夫入道慶栄(英賀城主・三木通明)が寄進したものだそうです。


作者の宗右衛門は英賀落城の際、当時の城主・三木通秋の助命を条件として秀吉に仕え、姫路城など多くの建築に瓦大工の棟梁として携わったとか。
ちなみに三木通秋は母が赤松晴政の娘、妻が黒田職隆の娘…つまり官兵衛の姉または妹という関係で、龍野の赤松政秀を迎え撃った土器山の戦いでは援軍に駆けつけて窮地を救いました。
しかし、毛利氏が本願寺に与して織田方と衝突するに至って、官兵衛は小寺政職とともに英賀を攻撃しています。
大河ドラマでは完全にスルーされましたが、三木氏と英賀衆、赤松氏や小寺氏との繋がりは結構重要なポイントだったんです。
英賀衆の顛末はこちらのPDF「英賀御堂と亀山本徳寺」が詳しいです。
http://www1.winknet.ne.jp/~k-goboh/goboh-san.pdf
ホリィ(新人)のことを語る
そんなわけで西派ということで、今の本堂は明治6年に西本願寺の北集会所から移築されたものだそうで…。

これですわ!ババーン

ちょっと、切りすぎやでこれ。もう。
ホリィ(新人)のことを語る
亀山御坊本徳寺は桜が綺麗でした。



…[全文を見る]
ホリィ(新人)のことを語る
天野先生の三好長慶新刊きたぁぁぁぁ 庶民にも割と優しい価格設定が嬉しい!
天野忠幸 著『三好長慶 諸人之を仰ぐこと北斗泰山』 本体3,200円+税
http://www.minervashobo.co.jp/book/b167992.html
>>
[ここがポイント]
◎二次史料のイメージを脱し、事実に基づいて実像を描く。
◎戦国時代有数の武将ながらいまでは知られざる存在となった人物にあらためて光をあてる。
<<
目次
>>
はじめに――世界に伝えられた三好氏
第一章 「堺幕府」の崩壊と家督の継承
1 三好氏と阿波、畿内
2 天文の一向一揆
3 越水城主として
第二章 細川晴元・足利…[全文を見る]
ホリィ(新人)のことを語る
妻鹿から姫路方面、亀山へ。
東西に走る山陽電鉄が飾磨から方角的には北に逸れて姫路に向かっているのですが、路線的にはそちらが本線なので乗り換えはありません。
ちなみに飾磨から西方面の終点が網干ですが、網干には昨年訪れてます。http://h.hatena.ne.jp/k-holy/11539592022238880034

亀山駅の地下道に描かれた絵がかわいい


…[全文を見る]
ホリィ(新人)のことを語る
妻鹿の古い町並みも少しぶらつきました。



…[全文を見る]
ホリィ(新人)のことを語る
経塚跡から市川を挟んで対岸あたりにえらい煙が上がってましたが、何だったんだろう。


もくもく

妻鹿駅前から見た国府山城。
手前の提灯は「灘のけんか祭り」で有名な松原八幡神社の祭礼で使われるものだそうですが、今は大河ドラマに合わせて「軍師黒田官兵衛」になってます。
…[全文を見る]
ホリィ(新人)のことを語る
国府山城の本丸跡

まあ、城跡らしい遺跡は特に残ってはいないのですが。

山には鎌倉から室町頃と見られる経塚跡や、磐座の跡があります。

地元では古くから信仰の対象だったのでしょう。
…[全文を見る]
/ホリィ(新人)