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ホリィ(新人)のことを語る

亀山御坊本徳寺は桜が綺麗でした。




永正年間に英賀城下に開かれた英賀御堂を前身とし、播磨における真宗発展の一大拠点でしたが、天正8年の秀吉による英賀落城後に亀山へと移されたのが亀山本徳寺です。

亀山本徳寺の史料『播州真宗年表』より、本願寺の東西分裂に関する興味深い話。
当初、播磨の一向宗は東本願寺に属していたのですが、姫路城主・池田輝政の姪婿で本願寺家老の下間重利が教如によって蟄居させられ、輝政の請願も受け入れられなかったことから、これを恨んだ輝政が関所を設けて本徳寺の僧俗を通行禁止にしたため、本徳寺六世の教円は東本願寺へと逃れました。
しかし、今度はその教円も教如によって蟄居を命じられ播磨へと逃れるに至ったため、輝政は教円を助けるとともに本徳寺をはじめ領内の一向宗寺院をことごとく西派に転向させたということです。
その後、三河出身で東派と縁の深い本多忠政が姫路城主となり、ようやく播磨に東派の再興が許されて建立されたのが、船場本徳寺だそうで、今も亀山本徳寺が本願寺派、船場本徳寺が大谷派として続いているという話です。

今の姫路城天守と城下町を築いた名君として知られ、その度量においては同世代の黒田長政を遥かに上回ると評判の池田輝政ですが、気性の荒い一面が感じられて面白いです。

他にも様々な資料がまとめられてます。本徳寺すごい。
http://www1.winknet.ne.jp/~k-goboh/