亀山本徳寺の方でも、天正8年4月の秀吉による英賀攻めでは1ヶ月足らずで攻略されたと認めています。 ただ、この時点ではもう石山十年戦争の終盤であり、すでに別所氏への支援や小寺方との戦闘で消耗していたこと、英賀という土地柄か門徒に交易業者が多かったことを早期敗北の原因としているようです。 また、町人と農民は姫路城下町に移し、残った門徒の多くは龍野に移されたとありますが、三木氏は元々いわゆる海の民の棟梁だったともありますし、町人や農民門徒とはまた性格が違うんでしょうね。