めも。
人間とウェブの未来 - 自分の研究・開発業績ページをWikiからGitHub Pagesに移行した
http://blog.matsumoto-r.jp/?p=4014
これ読んで、歴史年表書き足していくのにGitHub使えるんじゃねって思ったけど、視点の違う年表を並べて見たくなるだろうし、だったら歴史年表作成に特化したアプリケーションのがいいのかな。
http://imukat.wordpress.com/2013/04/15/年表作成webサービスの現状メモ/
/ホリィ(新人)
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めも。
人間とウェブの未来 - 自分の研究・開発業績ページをWikiからGitHub Pagesに移行した
http://blog.matsumoto-r.jp/?p=4014
これ読んで、歴史年表書き足していくのにGitHub使えるんじゃねって思ったけど、視点の違う年表を並べて見たくなるだろうし、だったら歴史年表作成に特化したアプリケーションのがいいのかな。
http://imukat.wordpress.com/2013/04/15/年表作成webサービスの現状メモ/
大河ドラマ効果がアクセスに現れてきた感じです。今まで1日のアクセス数が安定の一桁だったのに…。


Yahoo検索からが56%、次がハイクから9%、Google検索は5%。
今日の「戦え!官兵衛くん。」
http://kurokanproject.blog.fc2.com/blog-entry-125.html
兵庫史学会理事も務められたらしい赤松氏研究で有名な故人、高坂好氏ってブンセン(海苔の佃煮「アラ!」の製造販売元)の取締役やってた人なんですって。
『中世播磨と赤松氏』帯の煽り文句が良い
何かを受信して「小姓カフェ」って検索したら…実在するらしい…
今読んでいる本の13ページ7行目を書き写す
右京進小字孫四郎
系図だった(笑)
http://h.hatena.ne.jp/k-holy/81807720142693958
この足利義持の死因を知ったのも、大門先生のおかげ!
『奪われた「三種の神器」皇位継承の中世史』を久しぶりに読み返してたら、さらっと書いてありました。
もう4,5回読んでるのに、なんでこの可笑しさに気付けなかったのか…。
時事系のブログで「細川政権」って見かける昨今ですが
細川ってどの細川よ?政元?高国??って一瞬考えてしまって困ります。(しらんがな!!
八幡さん向かう途中で久しぶりに高羽市場の前を通ったら、半分解体されてました。
特に縁はないのですが、知ってる限りでも10年くらいは入口の飲食店ができては潰れしてたので、ついに…という感じ。



今日はここで清盛隊を観てきました。



…[全文を見る]
あ、村重のまんじゅうフラグは爆笑でした
「わし饅頭大好きなんで、遠慮なくいただきますわ」とか言いながらパクつくシーンが目に浮かぶ
軍師官兵衛
なんかダメ出しばかりしてるように思われてそうですが、今日はなかなか良いフィクションでした。
荒木村重は信長に妻子一族が磔刑にされてるのに逃げ延びたということで後世の評判は悪いですが、官兵衛は幽閉時、看守の加藤重徳に手厚く遇されたということで、その息子を後に取り立ててたり(黒田八虎の黒田三左衛門)、官兵衛の人柄を描く上で村重との関係は大事だと思います。
つい最近こういう資料も出てるので、じっくり描いて欲しいところです。
https://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/201312/0006542207.shtml
堺でフロイスに会うのも、実は状況的には合…[全文を見る]
番外編03 「鬼吉川」 ~吉川元春役には吉川晃司氏を推薦!~
http://kurokanproject.blog.fc2.com/blog-entry-71.html
>個人的には、吉川元春役には、三代目鬼吉川の吉川晃司さんを推薦します(ご子孫だそうです)!
そうだったのかー!でももうキャスト決まってるみたい?残念
応仁の乱で同じ東軍方として吉川経基が播磨福井荘に援軍を送った話とか、しっかり触れられてて本当良いブログです。
赤松政則から経基配下と思われる吉川孫右衛門尉宛の感状。
「去十日、於坂本合戦、打太刀被疵之条、神妙之至候、弥被抽忠勤候者、可悦入候、恐々謹言
三月十二日 政則 …[全文を見る]
好きなお菓子屋さんを3つ挙げる
お菓子じゃなくてお菓子屋さんというところが微妙に難しいというか
あれは美味しかったけど、それをもって好きなお菓子屋と言えるほどその店知ってるわけじゃないし…みたいな
まあ、細かいこと気にすんなってことかしら
下の「序盤の官兵衛をとりまく人たちの人間関係」で重要なのは、この足利義昭が信長と組んでいる時期、毛利も親織田だったことですね。
親義昭≒反三好≒親織田という構図です。
赤松晴政は惣領家を継いだ義祐と対立して龍野の赤松政秀の元に逃れますが、その後は毛利氏との連携も模索しています。(その毛利も備中を巡って反三好です)
義祐を擁する小寺氏はその流れで赤松政秀と対立していたので、反織田になってしまったのだと思います。
三好三人衆が義昭を襲撃した際いち早く駆けつけた別所氏や、義昭の元に娘を送った赤松政秀の機敏さに比べて、小寺氏の動きは鈍いです。
この時期に赤松惣領家を擁したことが、むしろ足かせになったのかもしれません。
大物崩れ以後をマンガで紹介してるブログを発見しました。
「戦え!官兵衛くん。」
http://kurokanproject.blog.fc2.com/blog-entry-2.html
続きを書く気が萎えてしまうくらい、全体的に説明が丁寧で分かりやすいブログですが、大河ドラマの背景を手っ取り早く知るにはこの記事(の画像)がいいかも。
http://kurokanproject.blog.fc2.com/blog-entry-6.html
もっと短くまとめて赤松晴政・義祐まで書くはずが、政則・則宗愛が邪魔をして力尽きてしまいました。ぜんぜん大河ドラマに繋がってない(笑)
そのうち続きも書く予定
ちなみに、赤松義村「義晴はわしが育てた」という話ですが、赤松則祐の時代に赤松家によって春王丸(後の義満)が匿われた歴史もあって、なかなかドラマチックなのです。
義村と村宗のこともがっつり書きたいのですが、室津を訪問してからだろうと思って保留してるうちに、大河ドラマでも室津が舞台になってすぐフェードアウトしそうな感じもして悩んでます。
はてなブログに投稿しました
大河ドラマ『軍師官兵衛』以前の播磨の戦国時代あらすじ(ほぼ赤松氏の話) - k-holyの史跡巡りメモ

http://amago.hatenablog.com/entry/2014/01/16/054501